【名著】老年について
本日は、古代ローマの哲学者キケロの傑作「老年について」について紹介したいと思います。この作品は、誰もが経験する老いと死について、深遠な人生論を展開した古典的名著です。哲学や歴史に興味がある方はもちろん、未来に対するあいまいな不安を抱いている方、最近加齢による衰えを感じている方、充実した老後を迎えるための準備をしておきたい方に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
若い頃にはなかったはずのシミやシワが増え、かつては溢れていた気力と体力が減少する。このように、老化は人間に余計なものを与え、同時に大切なものを奪い去る現象として、何千年も前から人間を悩ませてきました。しかし、人生は一度しかありません。年を重ねるごとに喜びを感じ、ポジティブに楽しく生きていきたいという願いを抱く方も多いでしょう。
そこで、古代ローマで活躍した弁論家であり政治家、そしてギリシャ哲学を中世ヨーロッパに伝えた偉大な思想家キケロの著作「老年について」から、人間が年をとっていく上での大切な心構えを学んでみましょう。
キケロの生涯
今日は、マルクス・トゥリウス・キケロという偉大な思想家について紹介したいと思います。キケロは紀元前106年、イタリアのアルピヌムという小さな町で騎士階級の家庭に生まれました。騎士階級というのは、貴族と平民の中間の階級で、主に税金の収集や農地の管理などを担当していました。
キケロの父親は、とても教育熱心で、子供たちが学問に励む環境を整えるためにローマへと家族で移住しました。そこでキケロは、哲学、弁論術、法律など、ギリシャ起源の学問を学びました。その結果、彼の知的能力は急速に開花し、ローマ史に名を刻む偉大な指導者になるという壮大な夢を持つ少年に成長しました。
キケロが学んだとされているのは、禁欲主義を唱えたストア派と、快楽主義を唱えたエピクロス派という2つの哲学思想です。これらについては少し詳しく説明しましょう。
まずストア派は、理性によって欲望や感情を抑制し、いかなる情熱にも心を揺さぶられない境地を目指す思想を提唱しています。また、ストア派の哲学者たちは、宇宙や自然、人間、つまりこの世のすべてが神によって創られた法則に従って動いていると考えていました。そして、その法則に従って生きることが正しいと主張していました。
一方、エピクロス派は、苦痛や不安、恐怖など心を乱すものがない状態が最高の快楽であると主張し、その状態を維持しながら楽しく安らかな人生を送ることを目指しました。そのため、政治や公共生活といった煩わしい世界から離れて静かに生きることを推奨していました。
しかし、当時のローマ社会の中心にいたのは貴族たちで、彼らは国家の運営に深く関わっていたため、エピクロス派の政治から遠ざるという考えはあまり受け入れられませんでした。その結果、ローマではストア派の思想が広く支持されていくことになりました。
キケロもまたストア派の影響を受けて、この思想を受け入れました。しかし、彼はストア派だけでなく、エピクロス派の考え方も理解し、その良い部分を取り入れるという柔軟な姿勢を持っていました。そのため、彼の思想は単一の学派に固執するのではなく、多様な視点を取り入れることでより豊かなものとなりました。
このようなキケロの考え方は、彼がローマの政治家や弁論家として活躍する基盤を築く一助となりました。彼の知識と経験は、彼がローマ社会での影響力を増すための強力な武器となりました。
キケロ、政界に
次にキケロが出会ったのは、ギリシャ発祥の思想である「懐疑派」です。懐疑派の思想とは何か、簡単に言えば、答えの出ない難しい事柄を考えたり判断したりすることを止め、心の平穏を保つことで幸福を見出すという考え方です。つまり、「万物の根源」や「生きる意味」、「人間の存在価値」など、物事の本質を追求し、それを突き詰めても共通の答えが見つからない、またはそもそも知り得ないことについては、思考を止めてしまった方が良いというのが懐疑派の主張です。これを「ポーシス」と呼びます。
キケロはこの懐疑派にも影響を受けました。彼の著作を読むと、上述の3つの哲学、つまりストア派、エピクロス派、そして懐疑派のエッセンスが随所に見受けられます。このことから、キケロが幅広くギリシャ哲学に影響を受けていたことが分かります。
さて、これらの学問を学びながら政界で活躍するための基礎教養を身につけたキケロですが、彼のキャリアパスは一体どのようなものだったのでしょうか。
古代ローマの出世ルートをざっくりと紹介します。キケロの理想的なキャリアパスは、財務官を経験し、最終的には執政官になることでした。政務官とは、政治を行う責任者のことで、様々な役職を経験することで次々と出世していく仕組みです。
財務官と法務官はその名の通り、護民官は平民階級の権利を守る役職、食料買うはローマの食料や娯楽、インフラなどの生活面の責任者、そして執政官は行政や軍事の最高責任者となる役職です。
この時代のローマはまだ皇帝制ではなく、共和制という政治体制がとられていました。つまり、絶対権力者である皇帝はいません。政治の舵取りは元老院、民会、政務官という3つの巨大な機関がパワーバランスをとりながら行われていました。そして、絶対権力者である皇帝が登場するのは、共和制ローマが終わり、帝政ローマと呼ばれる時代になってからです。
それでは、キケロが活躍したのはいつだったのでしょうか。彼が活躍したのは共和制の末期で、約500年続いてきた共和制が限界を迎え、新しい時代、帝政ローマへと移行しようとしている時期でした。この激動の時代に、キケロは政界に飛び込もうとしていました。
執政官から哲学者に
実際に、キケロが執政官になることは、非常に難しいことでした。なぜなら、執政官は基本的に貴族階級から選ばれ、しかも過去に執政官を輩出したことのある一族から選ばれることが通常だったからです。つまり、貴族よりも下の騎士階級のキケロにとって、執政官とはあまりにも遠い存在だったのです。
しかし、彼は財務官になり、その後すぐに昇進し、なんと43歳という最年少の若さで執政官に選ばれました。彼がなぜ他の貴族たちを打ち負かし、執政官の選挙に勝つことができたのかというと、彼が優れた知性と人徳を持ち、さらには驚異的な弁論術の使い手だったからです。
特にキケロの弁論技術は、古代ローマ史上最強とも言われ、多くの名言や名演説が残されています。その中でも特に有名なのが「カティリナへの弾劾演説」で、彼はこれを通じて国家転覆の危機を防ぎ、英雄となりました。
しかし、その後の彼の人生はあまり順調ではありませんでした。当時のローマ社会では内乱が続き、人々は武力や権力を政治に期待するようになっていました。そして、彼の地位はユリウス・カエサルなどの軍人政治家たちに奪われ、彼は政治の舞台から追放されました。
「老年について」を執筆
この栄光からの転落は彼に大きな苦悩と絶望を与えましたが、彼は哲学に救いを求め、自分の運命に抗い続けました。彼は多くの哲学的著作を残し、特に「老年について」は彼の晩年の力作で、非常に人気があります。
この作品では、スキピオとラエリウスという二人の若者が、84歳のカトーという老人に老後の悩みを打ち明け、アドバイスを求めるという設定になっています。しかし、ここで重要なのは、キケロが自分の言葉を老人カトーに託しているということです。つまり、カトーが若者たちにアドバイスしている言葉は、すべてキケロ自身の思想を表しているというわけです。
ここまでのお話を理解していただけたでしょうか?では、これらの背景を踏まえて、キケロの「老年について」について詳しく見ていきましょう。
老年が悲観される4つの理由
老年が悲観される4つの理由について考察してみましょう。多くの人は長生きを望む一方で、実際に年を重ねると老化による自身の変化に落胆したり、不満を感じることがあります。しかし、こうした不平不満の原因は、必ずしも年齢によるものではなく、個人の性格に大きく関わっています。道理をわきまえている老人は、上手に歳を重ね、穏やかに人生を楽しむことができます。
それでは、なぜ多くの人が老いることに対して悲観的になるのでしょうか。その理由は大きく分けて4つと考えられます。それは、
1. 活動性の低下
2. 体力の衰退、
3. 快楽の欠如
そして4. 死への恐怖です。
老年の活動性の低下
まず1つ目、老年の活動性の低下について考えてみましょう。確かに、肉体が衰えれば、体力を必要とする活動は自然と減少します。しかし、精神的な活動はどうでしょうか。老いてもそれが奪われるということはあるのでしょうか。祖国を守り続けた偉人たちは、彼らの豊かな知識と影響力を使って、何も活動しないということはないでしょう。
大きな成果は、肉体的な力や速さによるものではなく、知恵、人格、そして冷静な判断力によって生まれるものです。そしてそれらは年齢を重ねるほどに磨かれ、輝きを増すものです。記憶力が衰えるという老化の現象もありますが、それは努力を怠った人に限られます。
例えば、有名な政治家テミストクレスは、高齢になっても市民の名前を全て覚えていたとされています。また、老年の法律家や哲学者は、その豊富な知識を通じて、多くの情報を記憶しています。これは、学び続ける意欲と努力があれば、老いても知性を保つことが可能であることを示しています。
こうした例は有名な人物だけでなく、一般の人々にも適用できます。老年になっても、積極的に
何かに取り組み続けることが大切です。それは、これまでの人生で情熱を燃やしてきた大切な活動や習慣であることが多いです。
ソロンという偉大な詩人の言葉を思い出してください。彼は「私は日々何かを新たに学び、それによって老いていく」と言いました。つまり、老年になっても新しい知識を学び、精神的な活動を通じて活動的な生活を送ることができるのです。
また、長年にわたり蓄積した知識や磨き上げた思考力、判断力を最大限に活かすことができるのは、若い時よりもむしろ老年の方が可能です。この本では、老人の活動性を豊かにする具体的な例や偉人の名言を引用しながら、丁寧に解説されています。
また、彼ら自身も高齢になってから新しいことを学び始めました。例えば、哲学の父とも呼ばれるソクラテスは、老年になってから竪琴を始めました。つまり、人間は常に何か新しいことを学びたいという意欲があれば、年をとっても活動的に生き続けることができるのです。
体力の低下
次に老年期が悲観される理由の一つとして、体力の低下が挙げられます。しかし、我々は若い頃のような体力を求めるべきではないと私は考えます。それは、若い頃に牛や象のような力を求めなかったのと同じ理由です。自分が持つ力を最大限に発揮することこそが、人間にとってふさわしい行動だからです。
また、人間の力量は頭脳だけでなく、声の力や体力にも左右されます。しかし、歳を重ねた者の強みは、朗々とした声の心地よい響きであると言えます。そういった自身の強みを理解し活かすことで、多くの賞賛を受けることができます。
人生は一本の道であり、その各段階にはその時期だけにならえる特性が存在します。少年期の端正さ、青年期の大胆さ、中年期の重厚さ、老年期の成熟といった特性は、その時期にしか得られない自然の恵みです。
体力の衰えといえども、その原因は老年期だけではありません。若い頃に不摂生をして健康を損なうと、老後にその代償を払うことになる場合もあります。したがって、健康に配慮し、適度な運動と必要な分だけの食事を心がけることが重要です。
しかし、それ以上に気をつけてほしいのは、各人の内面です。人間の頭脳や精神はランプの灯と同じで、ぼやけたり消えたりしないように、時折手入れをしなければならないのです。
つまり、自分の力を発揮し、強みを生かすこと、ライフステージごとの特性を大切にすること、健康に留意すること、そして自分の知力を鍛え、精神を磨くことが重要であるというのが私の考えです。老年の全てを肯定するわけではなく、その問題点を冷静に分析し、対策を講じることで、老後も悪くないと主張しています。
キケロの人生観として「人生は一本の道であり、その各段階にはその時期だけにならえる特性が存在する」という考えがあります。人間は生涯を通じて成長し、進化し続けます。それぞれの年齢にはその時期ならではの特性と美しさがあり、それを最大限に生かすことが重要です。
キケロは、人間の力量が体力だけでなく、声の力や精神力にも左右されると主張しています。そして、歳を重ねることで得られる独特の声の響きや精神力は、他の何物にも代えがたい価値を持っています。
快楽の欠如
老いが一般的に悲観的に見られる三つ目の理由は、快楽が欠如することです。
ここではキケロは、ギリシャの哲学者アルキタスを引用しています。
「自然が私たちに与えたものの中で、肉体の快楽ほど人間にとって致命的なものはない。それを追求しようとすると、止まることなく、欲望が煽られる。肉体の快楽に突き動かされている人を想像してみてください。そのような快楽に囚われている限り、本質的なことは何一つ達成できません。」
なぜアルキタスの言葉を引用したのか、
これは、『人を誤った道へと駆り立てるような欲望を、老いが取り除いてくれる、ということを前向きに捉え、喜んでほしいのです。肉体的な快楽の誘惑に抵抗するのは誰にとっても容易なことではありません。人間はまるで魚のように、簡単に快楽という餌に引っかかります。だからこそ、古代ギリシャの哲学者プラトンは「肉体的な快楽こそが最大の悪の餌である」と言いました。』
老いが誤った欲望を取り除いてくれる。
肉体的な快楽だけでなく、あらゆる欲望から解放されれば、争いも嫉妬もなくなり、本当に自分がやりたいことに集中して生きることができると言っています。
だからこそ、老いの生活は実は快適なのです。しかし、すべての老人が快適な生活を送っているわけではありません。仕事や学問、芸術などの生きがいと、それを楽しむ時間、これらが快適な老後を過ごすための重要な条件となるとキケロは言います。
キケロは続けます。
「私がここで語ってきた、賞賛に値する老年とは、若い頃からの積み重ねによって築かれたものです。尊敬される老人の威厳や貫禄は、白髪が増えたり、しわが増えたりするだけで得られるものではありません。これらは一生懸命に生きてきた人々が最後に受け取る果実なのです。
一方で、偏屈で怒りっぽい、いわゆる”普通”の老人のイメージは、あくまでその人の性格に過ぎません。老年になることで必ずそうなるわけではありません。良い習慣を身につけたり、学問や芸術を学んだり、自分を高める努力を怠らなければ、性格は改善されます。
全てのブドウが古くなると味が落ちるわけではありません。同様に、全ての人が老いると劣化するわけではありません。
要するに、肉体的な快楽を追求するよりも、立派な人間としての威厳や貫禄を身につける方が価値がある、と言っているわけです。しかし、そのためには、何かに情熱を注ぎ、知識を身につけ、人格を磨く必要があります。」
この本の主人公である老人カトーは、彼を頼ってきた若者たちに対し、「友人」と呼びかけます。彼は貴族出身ではなく、平民から出てローマの頂点に立った自己実現の人物です。それでも、若者たちと同じ目線に立ち、敬意を持って接する彼の姿こそが、理想的な老年と言えるでしょう。
死の恐怖
「人生の終わりと旅立ち」これは老人が直面する最も重要な問題の一つと言えるでしょう。老人が最も苦しむ、最も不安にさせられるものは、迫り来る死です。しかし、死は全ての人に共通するものです。老人であろうと、成年であろうと、それは世代に関係なく訪れます。
キケロは語ります。
「私自身、息子を亡くして以来、死がいかに身近な存在であるかを痛感しています。しかし、多くの人は、死が老人だけの問題であるかのように思っているようです。老人は長く生きられないが、若者は長く生きることができる。だから老人には希望がないと嘆く人もいます。
しかし、老人とはすでにその希望を達成しているからこそ老人である。過ぎ去ったものは戻らないし、未来のことは誰にも分からない。私たちは、今与えられている時間を精一杯生き、それに満足しなければならないのです。
短い人生であろうと、長い人生であろうと、よく生き、立派に生きるためには十分な時間があります。そして、年老いる前に得た報酬とは何か。それは、獲得した豊かな物資や思い出です。
自然に従って生じるものは全て良いものである。老人が余生を全うすることは、自然に従ったものである。成熟したリンゴが自然に地面に落ちるように、暴力的な力ではなく、成熟が老人から命を奪うのです。」
成熟したリンゴが自然に地面に落ちるように、老いることもまた自然なことなのです。それを恐れたり、不幸なことだと思ったりしてはいけない、と言っているのです。
プラトンの霊魂不滅の考え
プラトンは、人間の肉体が滅びても魂は永遠に生き続ける、つまり「霊魂不滅」を主張しました。キケロはプラトンを非常に尊敬し、彼と同じく魂の不滅を信じていました。
キケロは言います。「たとえ神が私を老人から幼子に戻すと言っても、私はその提案を断ります。なぜなら、ゴール直前で無理やりスタート地点に戻されたくないからです。多くの人々がそうであるように、私は自分の人生を惜しむことも後悔することもありません。この世は永遠に住む場所ではなく、いつかは立ち去らなければならない一時的な宿泊場所なのです。
いつか私も、魂が集まる輝かしい場所へ旅立つでしょう。そこには、これまで語り合った偉大な人々や、愛する者たちが待っています。私の息子が早くその場所へ旅立ったとしても、彼は私を置き去りにしたのではない。彼は私がいつか必ず追いつくことを信じて旅立ったのです。だから、その時から今日まで、私の心は常に平穏です。
周囲の人々は私が不幸であると思っていたかもしれませんが、それは違います。私と息子との間には時間的な隔たりがあるだけで、いつか再会する日が来ると信じています。そして私は、魂の不滅を信じています。それが間違いだとしても、私は信じ続けます。この信念があるからこそ、私は常に幸せを感じています。そしてこれからも、その幸せを感じ続けたいと願っています。
老年とは、人生という舞台の最後の一幕です。自分自身が十分に生きたと感じた時が、その舞台の幕引きの時なのです。若い友人たちへ、私が語るべきことはこれがすべてです。」
キケロの老年についての考え方です。
まとめ
歳をとると考えが固くなり、他の意見や考え方を受け入れることができなくなります。
そんな中、歳をとっても若い人と変わらず好奇心旺盛で、活動的な人がいます。
これは、歳を言い訳にせず、活動的に行動をしている方が多いです。
皆さんも、頭の硬い老人と思われないよう、行動する必要があるかもしれませんね。
コメント