イスラエルとイランで”いま”何が起きているのか?

歴史

10月2日未明、イランからイスラエルに向けて180発以上のミサイルが発射されました。イランは今年4月にもイスラエルを攻撃しています。イランがイスラエルの領土に向けて直接攻撃を行ったのはこの時が初めてでしたが、当時はアメリカへの事前通告があったとされています。それが今回の攻撃では事前通告もなく、ミサイルの数も1.5倍となりました。イランとイスラエルの報復合戦は終わりが見えず、むしろよりエスカレートする要素を見せています。この争いは今、非常に危険な状態にあり、中東だけでなく世界をも巻き込む大事件に発展する可能性をはらんでいます。そこで今回は、なぜイランとイスラエルは争うのか、その原因は何なのか、歴史的な背景を交えながら解説していきます。

イランとイスラエル対立の歴史

それは、もっと広い目で見ると中東問題の歴史です。まずは中東問題の転換点、パレスチナの地域に1948年、イスラエルが建国されたところにまで遡ります。そもそもパレスチナには元からアラブ人が住んでいました。そこに今から約70年前、ユダヤ人が移住してくることになったのです。ただ、このユダヤ人もまた2000年以上も前にパレスチナの地を追い出された人たちです。しかし、両者は宗教も文化も違うため対立するようになります。そこでその対立を落ち着かせようと出てきたのが国連です。国連の決議によって、パレスチナの57%がユダヤ人に、43%がアラブ人に割り振られました。

これで一見落着かと思ったら、ユダヤ人が建国したイスラエルという国がしばらくして割り振られたはずのパレスチナのほぼ全てを占領してしまいました。本来アラブ人に割り当てられたはずの43%の土地もユダヤ人が占領するようになったのでした。当然これにアラブ人側は不満が溜まります。こうしてアラブ人とユダヤ人との衝突が頻発するようになりました。1948年から73年の第一次から第四次中東戦争まで、故郷を求めるユダヤ勢力と住む土地を守るパレスチナ勢力の戦いが続くことになり、基本的に全てイスラエル側の勝利で終わっています。これはアメリカ、イギリス、フランスといった西側の大国がイスラエルを支援していたことが大きく影響しています。

この争いの過程で、パレスチナ人の住む場所はどんどん狭くなっていきました。今では南側のガザ地区とヨルダン川西岸地区の二つの小さな地域に追いやられることになったのです。

歴史的背景:イランとイスラエルの対立の始まり

まず、ここまでで整理しておきたいのは、イスラエルとパレスチナの対立軸です。これは、ユダヤ人とアラブ人の対立軸とも言えます。次に、この対立にイランがどう絡んでくるのかを見ていきましょう。実は、イランとイスラエルは元々仲が悪かったわけではありません。1950年代から60年代には国交を結んでいました。当時のイランは親米の国王が治めていたため、アメリカを後ろ盾とするイスラエルとも比較的近い関係にあったのです。

ですが、対立が決定的になる出来事が起こります。それが1979年に起こったイラン革命です。この革命の発端は、国王であるパフラヴィー2世がアメリカの支援でイランの大改革に着手したところからです。イスラム教を中心とする伝統を大事にしていたイランを、西洋の文化に大胆に塗り替えていこうとしたのです。西洋文化を素晴らしいと考えるパフラヴィー2世にとって、イランの伝統的な文化は壊すべき古いものに見えていたのです。

イランの改革をアメリカは歓迎しましたが、イランの伝統を重視する派の国民は猛反発します。敬虔なイスラム教徒を中心に反対運動が高まっていきました。ところが、国王がこれを弾圧。もはやこの時、改革が進む中で、イラン国民の考えや発言は許されていませんでした。急激な改革によって伝統や文化が失われ、経済も混乱し、貧富の格差も広がっていきます。

ホメイニ氏の登場

ただ、この流れを変えようとする人物が現れます。その人物が、イスラム教シーア派の主流である十二イマーム派の指導者ホメイニ氏です。ホメイニ氏は、政府の方針を厳しく批判し、やがて抵抗運動のシンボルとなりました。これを見た国王は、ホメイニを危険な人物だと見なし、すぐに彼を捕らえて国外に追放してしまいました。改革を妨げる自分の立場を脅かす人物は早めに排除し、抵抗運動を抑え込もうと考えたのです。

ホメイニが追放されてから約10年が経った時のことです。その間、国王が進めていた改革はうまくいかず、貧富の差はさらに拡大し、政治への不満もますます高まっていきました。そんなある日、新聞にホメイニ氏を侮辱する記事が掲載されました。これを見た学生たちは「なんてことを言うんだ!」と激怒し、デモを起こしました。このデモを政府が弾圧すると、国民の怒りが頂点に達し、全国でデモと暴動が多発する事態となったのです。

怒り狂う民衆を抑えられず、身の危険を感じたパフラヴィー2世は国外に逃亡しました。このイラン革命によってアメリカ寄りの方針は終わりを迎え、新たな指導者となったのは、亡命先から帰国したホメイニ氏です。ホメイニ氏の方針は、イスラム教の原点に立ち返って国づくりを行うというものでした。この主張は大きな支持を得て、イラン・イスラム共和国という新しい国が誕生しました。いわば、民主主義×イスラム教という全く新しいタイプの国です。

こうして長らく続いた国王の支配が終わり、現在のイランの形となりました。そして、この時からイランは、イスラエルのことを聖地エルサレムを奪った敵と見なすようになりました。イランの敵であるアメリカ、そのアメリカの仲間であるイスラエルも敵であるということです。歴代のイラン指導者たちは、イスラエルに対する敵対的な姿勢を崩していません。例えば、2005年に大統領に就任したアフマディネジャド氏は、当時「イスラエルは地図から消えるべきだ」と発言し、国際社会から非難を浴びました。

「イスラエルの懸念とモサドの影:イランの核開発を巡る攻防

一方で、イスラエルはイランの核開発に強い危機感を抱いています。イランはブーシェフル原子力発電所やナタンズ核施設などでウラン濃縮を進めているとされ、イランが核兵器を開発し、イスラエルの安全を脅かすのではないかと懸念しています。そのため、イスラエルの特務機関モサドは、イランの核開発を阻止するためにさまざまな工作活動を行っているとされています。

2010年には、イランのナタンズ核施設のコンピュータシステムがサイバー攻撃を受け、遠心分離機が破壊されるという事件が起きました。これがモサドの仕業ではないかと、イランは考えています。また、イランの核科学者が暗殺されるという事件も相次いでいます。2020年11月には、イランの核開発の中心人物とされるモフセン・ファクリザデ氏が、首都テヘラン近郊で銃撃され死亡しました。こちらもイランはイスラエルの仕業だとして非難しています。

核合意と制裁の行方:泥沼化するイランとイスラエルの対立

イランとイスラエルの対立は根深いものです。ただ、過去に関係改善の兆しがなかったわけではありません。2015年に欧米など6か国とイランの間で結ばれた合意は、緊張緩和の足がかりになるのではないかと期待されました。この核合意とは、イランが国際原子力機関(IAEA)の規定よりも厳しい内容で核関連活動を行うことを受け入れるものです。この見返りとして、欧米はイランへの経済制裁を解除しました。

しかし、2018年、イランを敵視するトランプ元大統領が核合意からの離脱を表明し、イラン産原油の全面禁輸など制裁を再開したことで情勢は再び悪化してしまいました。その後、バイデン新政権は核合意への復帰を模索していますが、イランは米国の制裁解除を求めており、交渉は難航しています。イスラエルのネタニヤフ首相は、核合意の復活に強く反対しており、対イラン強硬路線を主張しています。

2021年4月には、イランのナタンズ核施設が再びサイバー攻撃を受け、再度イランはイスラエルの関与を非難しました。イランとイスラエルの関係は泥沼化しているというのが現状です。その上で、さらに厄介なのが、この対立構造がイランとイスラエルの2国間で収まっているわけではないということです。

ミサイル攻撃の応酬:エスカレーションの危機

今回のイランからイスラエルへのミサイル攻撃、その前の4月の報復合戦が大きなニュースになりましたが、これ以外にも中東ではさまざまないざこざが起きています。例えば、2023年10月7日に起こった、パレスチナ自治区の過激派組織ハマスによるイスラエルへのロケット弾攻撃です。これにイランが絡んでいるのではないかと噂されていました。実際、昨年10月にイランのアブドラヒアン外相は、ガザを実行支配するハマスの指導者ハニーヤ氏と会談し、ハマスへの協力を続けるということを伝えています。イラン国営メディアによると、アブドラヒアン氏は「パレスチナ支援は宗教的、人道的な責務だ」と強調し、ハマスによるイスラエル侵攻についても「抑圧されたパレスチナ人から見れば自然な反応だ」とまで発言しています。

広がる代理戦争:イランと武装組織による中東での対イスラエル攻撃

他に中東で問題になったニュースとして、2024年1月にアデン湾でイギリスの企業が運行する石油タンカーがミサイル攻撃を受けて炎上したという事件がありました。これはイエメンの武装組織フーシ派によるものだと発表されました。フーシ派のスローガンは「アラーは最も偉大なり。アメリカに死を、イスラエルに死を、ユダヤ教徒たちに呪いを、イスラムに勝利を」。まさに先ほどお話ししたイランのスタンスそのものです。

実は、イランとこれら武装組織のネットワークは「抵抗の枢軸」と呼ばれています。抵抗というのは、イスラエルやアメリカへの言葉です。ただし、この「抵抗の枢軸」がどんな組織で、どんなメンバーで構成されているのか、公式には明らかにされていません。

しかし、4年前、イランがその内情を内外に意図的に示した瞬間がありました。それは2020年1月のことです。アメリカとイランの対立が激化する中で、イランの軍事精鋭部隊である「革命防衛隊」の司令官が演説を行いました。この司令官の背後には、ハマスやフーシ派、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラなどの旗がずらりと並べられていました。これにより、イランとフーシ派、その他の武装組織との繋がりが確認されたのです。

2024年1月、ロイター通信には次のようなことが書かれていました。「イラン革命防衛隊とヒズボラの司令官らが、フーシ派による公海での船舶攻撃を支援していることが、関係筋の話で明らかになった」と。このように、イランは従来からフーシ派に対して武器や資金を提供し、軍事訓練を行ってきました。さらに、パレスチナのガザ地区でイスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘が始まって以降、イランは武器の供給を拡大しているとされています。また、革命防衛隊の司令官や顧問らは、公海を航行する船舶がイスラエルに向かっているかどうかを判断するためのノウハウやデータも提供しているのだそうです。

このように、イランとイスラエルの対立は単なる2国間の敵対関係ではありません。パレスチナ、レバノン、イエメンなど、イランが影響力を持つ地域での紛争は、まさにイランとイスラエルの「代理戦争」となっているのです。

直接攻撃:シリアをめぐるイランとイスラエルの対立

ここまで歴史の大きな流れを見てきました。さて、話は冒頭に戻ります。今年4月、イスラエルはシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館を攻撃しました。これに激怒したイラン政府は公式に報復宣言を発表します。そして、4月14日未明、イランはイスラエルに向けてドローンや弾道ミサイルを発射しました。補足すると、シリアのアサド政権をイランが支援する一方で、イスラエルは反政府勢力を支持しています。実は、イスラエルがシリアにあるイラン関連施設を攻撃したのはこれが初めてのことではありません。シリア国内のイラン関連施設を度々空爆し、イランの影響力拡大を阻止しようとしているのです。

2018年5月には、イスラエルがシリアのイラン革命防衛隊の基地を大規模に攻撃し、緊張が高まりました。しかし、これまでと大きく違うのは、今回のイスラエルが軍事施設ではなく外交関連施設を直接狙ったという点です。イランにとっては、主権が脅かされたという衝撃が大きかったことでしょう。大使館の空爆攻撃という極めて異例の事態で、幹部軍人を殺害されたイランは「同等の対抗措置を取る権利がある」と表明しました。そして約2週間後の4月14日、イランはイスラエル本土にミサイルなどを発射し、攻撃に踏み切ったのです。

これは1979年のイラン革命以降、45年にわたって敵対してきたイスラエルに対する初の直接攻撃です。しかしこの時、イランはアメリカや周辺国に攻撃の計画を事前に伝えていたことから、イラン政府が強気の姿勢を示すためのパフォーマンスだったとも考えられます。実際、今年7月にハマスの最高幹部ハニヤ氏が暗殺された後、イランは報復を宣言していましたが、大方の予想に反して即座の報復を踏みとどまっていました。

それでも、イスラエルは姿勢を変えておらず、9月17日にはレバノンでポケベルやトランシーバーに仕掛けた爆発物を一斉に爆発させる攻撃を実行し、9月28日にはイランが支援するヒズボラの指導者ナスラッラ氏やハマスなど、反イスラエル勢力を司るイランがメンツを潰されたこともあり、ついに自制してきた報復を実施せざるを得ない状況に追い込まれました。

そしてそれが10月2日未明に行われた、イスラエルへの180発以上のミサイル攻撃となって現れたというわけです。

イスラエル側は「180発以上のミサイルは防空システムによって迎撃された」と主張しています。イスラエルを全面的に支持するアメリカも「イランの攻撃は失敗で、効果はなかった」と公表しています。一方で、イラン側は「イスラエル軍の関連施設を標的にしたもので、ミサイルの9割が命中した」と主張しています。両者の主張は食い違っていますが、イランはあくまで「民間への攻撃は行っていない」と付け加えており、これ以上の争いを避けたいという思惑も見て取れます。

イスラエルの動き

しかし、怖いのはこれからのイスラエルの動きです。10月3日未明には、イスラエルがすぐさまレバノン南部を空爆で攻撃し返しています。何より今後の報復として最も恐ろしいのは、イスラエルによるイランの核施設への攻撃でしょう。核施設への攻撃は、イランとの全面戦争を招きかねないため、バイデン大統領も「核施設を攻撃しないように」とイスラエルに呼びかけていますが、何が起きるかは本当に予測できない状況です。

イスラエルのネタニヤフ首相は一貫して「報復する」という姿勢を見せており、イランの石油関連施設への攻撃を協議中だという報道も流れています。まさに一触即発の状態です。今月中か、あるいは今週中か、イスラエル軍の動き次第で中東の情勢は大きく変わることになるでしょう。

終わりに:日本との関係

「でも、僕たちの住む日本には関係ないでしょ?」と思う方、それは間違いです。ホルムズ海峡はイラン南部とオマーンの間にある海峡で、この海峡は世界の石油輸送の要所です。狭いホルムズ海峡の奥を見てみると、サウジアラビアやアラブ首長国連邦、クウェート、イラクといった中東の産油国が並んでいます。世界で海上輸送される原油の約2割がホルムズ海峡を通って届けられています。

とりわけ影響が大きくなるのは、化石燃料を中東に依存する日本です。今の状況が中東のみならず世界中で大きな影響を及ぼすことは間違いありません。この争いは決して遠い中東の世界だけの出来事ではなく、日本人も見て見ぬふりができない大問題です。投資にも、ビジネスにも、私たちの将来にも大きく関係してきます。

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