2024年12月3日22時過ぎ、韓国でユン大統領による戒厳令が発令されました。多くの国民がこれを民主主義の危機と捉え、国会議事堂前に集結し、大騒動の末に戒厳令は解除されました。その間、わずか6時間。この短時間で何が起きたのでしょうか。ユン大統領は何を試み、国民は何に反発したのでしょうか。ここでは世界を驚かせた韓国の戒厳令騒動について解説します。
戒厳令発動に至るまでの背景
ユン大統領の政権は2022年5月に始まりましたが、国会では当初から与党が少数派であり、政策が思うように進まない状況に陥っていました。韓国は一院制を採用しており、与党と国会多数派が異なる「ねじれ国会」のような状態にありました。ユ大統領は日韓関係の改善や米韓同盟の強化といった外交政策に力を入れてきた背景には、国会が野党に握られているため、内政で成果を挙げるのが難しかったことも挙げられます。
しかし、2024年4月に実施された国会議員選挙では、与党は敗北し、最大野党が過半数の議席を獲得しました。経済状況の改善も進まず、さらに外交面でもトランプ政権の誕生が見込まれ、不安定な状況が続いています。
このような中、大統領夫人金建希氏にまつわるスキャンダルが相次ぎ、ユン大統領の支持率は急落。10月の調査では支持率は初めて10%台、不支持率は72%にまで上昇しました。
野党の戦略とユン大統領の反発
現在の最大野党「共に民主党」の党首であるイ・ジェミョン氏は、過去の疑惑によって複数の裁判を抱えています。選挙法違反による第1審で懲役1年の判決が出ており、今後の審理結果次第では次期大統領選挙への出馬が不可能になる可能性があります。
野党は「現大統領の辞任を促し、早期の選挙を実施する」ことを狙っており、その一方で、イ氏の裁判に関与する検察官に対して弾劾を試みるなど、憲法裁判所を機能不全に追い込む戦略も展開しています。このような野党の動きに対して、ユン大統領は「反国家勢力の活動」と非難し、野党の背後に労働組合や市民団体、さらには北朝鮮の影があると見ていました。
戒厳令発動とその失敗
12月3日22時過ぎ、ユン大統領は戒厳令を発令し、国会封鎖を試みました。戒厳令の発動後は、国会での承認が必要であり、国会で否決されれば解除されるため、ユン大統領は軍を動員し物理的に国会を封鎖しようとしたのです。
しかし、軍部の指揮系統に混乱が生じ、国会封鎖は不完全に終わりました。国会周辺には約4000人の市民が集結し、議員たちを議事堂内へと導く動きが活発化しました。最終的に国会は開催され、出席した議員190人全員の一致で戒厳令の解除が決定されました。
この事態は、軍部が大統領の指示通りに動かなかったことを示しており、国家の統制力に対する疑問が浮き彫りになりました。
その後の展開と今後の見通し
戒厳令発動の失敗によって、ユン大統領の支持率は13%にまで低下し、不支持率は80%に達しました。野党は大統領弾劾案を提出しましたが、7日の採決では与党議員の多くが棄権したことで無効となりました。
与党は、現状の混乱を立て直した上で、ユン大統領が自ら辞任し次期大統領選挙に持ち込む計画を明らかにしています。一方、野党は大統領の国会封鎖を「内乱罪」に問う構えを見せており、韓国の政局はさらなる混乱が予想されます。
今後の注目ポイント
韓国国内では政治的混乱への国民の反応が重要な鍵を握ります。また、戒厳令発動により韓国ウォンは下落し、国際社会における韓国の信用も揺らいでいます。
さらに、韓国軍の統制不足が露呈したことで、北朝鮮の動きにも警戒が必要です。国際情勢が不安定な中、韓国の政治・安全保障の行方は今後も目が離せない状況です。
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