岡田斗司夫の人生相談: “裕福な育ち”と”貧乏”と”貧困”の違いについて

仕事効率

YouTubeで岡田斗司夫氏が貧困についての人生相談を受けていました。これがなかなか興味深かったのでまとめてみます。

20代女性からの相談をご紹介しましょう。その女性は裕福な家庭で育ち、就職活動中に友人との会話で混乱を感じてしまったとのこと。彼女は自分が裕福な家庭で育ったからこそ、給料に固執せず充実感を感じられる仕事に就くことが重要だと考えている、と友人に言われました。その意見には彼女自身は混乱を覚え、裕福な家庭で育ったことと給料に固執しないことの関係性について、私に聞きたいと相談してきました。

そこで今回は、「貧乏」と「貧困」の違いを解説しながら、彼女の相談に対する岡田氏の見解を書いていきます。

まず、「貧乏」と「貧困」の違いですが、「貧乏」とはただの状態を指し、「貧困」とはその状態による解釈や感じ方を表します。貧乏な人がその状況を受け入れ、心の中で地獄を見ているなら、それは「貧困」です。

では、裕福な家庭で育った彼女が給料に固執しないのはなぜでしょうか。それは、貧乏な家庭で育つと、選択肢がお金により狭まるからです。裕福な家庭で育った彼女は、自分の選択肢が狭まる経験をしていないため、給料に固執する必要性を感じていないのかもしれません。つまり、彼女は豊かな環境で育つことにより、自由に夢を追求し、自己実現を目指す余裕があったのです。

しかし、貧乏な状況でも、その中で自分がやりたいことを目指す力、すなわち応用力が上がる可能性もあります。つまり、選択肢が狭まるという状況は、思考を日常化させ、頭を使う機会を増やすため、それ自体が良いこととも言えます。

ただし、その応用力や思考力を訓練する必要がないほどの裕福な環境で育った人が、給料に固執しないのは当然とも言えます。その人たちは、選択肢を狭めることなく、自分の可能性を最大限に追求することができるからです。

結局のところ、「裕福」と「貧乏」、「貧困」にはそれぞれ違う視点から見ればそれぞれの価値があります。裕福な家庭で育つという経験は、自分自身の選択肢を広げ、未来に対する視野を広げることを可能にします。一方で、貧乏な状況でも、自分自身の選択肢が狭まるという状況は、思考を日常化させ、頭を使う機会を増やすことができます。結局のところ、どちらの状況もそれぞれの価値があり、どちらも人生の一部として大切な経験と言えるでしょう。

「貧乏」から「貧困」へと移行するメカニズムについて

まず、彼女が裕福な家庭で育ったことは幸せであり、その一方で彼女の友人が貧困状態から脱出し、頭が良くなる経験をしたこともまた良かったと私は感じています。つまり、それぞれの状況によって得られる経験や教訓があり、その全てが個々の人生を豊かにする要素となるのです。

彼女がもし友人と同じように、「私は苦労してないからその辺わかってなかったなあ」と言えるとすれば、それは彼女が自身の経験から学び、成長している証でしょう。この視点は、裕福な家庭で育った人には特に身につけておくべきだと私は考えています。なぜなら、これまで家庭の裕福さによって避けられていた苦労が、これから先の人生で増えてくる可能性があるからです。

特に貧困について深く考えてみましょう。例えば、戦後直後の日本、すなわち「ホタルの墓」の時代、誰もが貧乏でしたが、誰もが貧困だったわけではありません。ここでいう貧困とは、「貧乏な状態が自分や家族を苦しめ、心の中が地獄になってしまう状態」を指します。貧乏な状態でも、それが自分や家族を困らせていなければ、それはまだ貧困ではないのです。

具体的には、例えば自分の家が貧乏であることが原因で子供が友達にいじめられると知ったとき、その親は貧困を経験します。つまり、状況は変わらないものの、その状況が自分や家族に困難をもたらすとき、それは貧困となるのです。

これは、セクハラやいじめの問題とも共通しています。これらは個々の解釈や感じ方によって大きく変わり、その困難が心の中に地獄を生むとき、それは問題となるのです。

したがって、貧乏と貧困の差は、物質的なものを持つかどうか、またそれを買うかどうかではなく、それが自分や家族をどのように困らせているかによって決まります。もしあなたが自分の状況に満足し、心の中に地獄を感じていなければ、あなたは貧乏かもしれませんが、貧困ではありません。

結論として、貧乏と貧困の差は「状況」ではなく「解釈」によって生まれます。そして、それがどのように自分や家族を困らせ、心を痛めているかが重要なのです。

日本とアメリカの違い

日本は、都市社会という特性を持っています。これは、一定のレベルでの生活が、貧富に関わらず保障されている社会、つまり「貧しくても豊かな暮らしができる社会」を指します。

この点を理解するためには、アメリカの”ゴーストタウン”、キャリコの事例が参考になります。この町では、金も物も公共サービスも皆無でした。その結果、お金がないことが直接的に生活の困難さと結びつき、人々は貧困状態に陥りました。つまり、お金がないということは、直接的に生活がつらいこと、つまり貧困となるのです。

しかし、これはアメリカに限った話ではありません。キャリコのようにゴーストタウンになってしまった町は数多く存在し、公共サービスがまったく提供されていない街も少なくありません。そのため、アメリカでは「お金がない=生きていけない」という現実が存在します。

こうした背景から、アメリカでは「お金がないならそれはお前が頭が悪いからだ」という考え方があります。もし頭が良ければ、お金を稼ぎ、成功しているはずだというわけです。つまり、アメリカでは「お金がない=貧乏」ではなく、「お金がない=かわいそうな貧困」だと捉えられています。

この考え方は、日本にも輸入され、現在の貧困問題の一因となっています。

さて皆さんはどうお考えですか?

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