自然と調和する生き方:老荘思想による道教の解釈

哲学

道教とは何かをわかりやすく解説【老子・荘子の教えを学ぶ】

中国の根底に流れる深深たる思想、そしてその源流の一つである道教に焦点を当てたいと思います。道教は、確かに、仏教や儒教と並び中国の三大宗教として名を馳せています。それだけに日本人である私たちがその詳細を知らないのは少し驚きですよね。

道教の起源を語る上で避けて通れない二つの名前が、老子と荘子です。多くの方がこれらの名前を一度は聞いたことがあるかもしれません。しかし、それらが如何に中国の思想、特に道教の形成に寄与したか、そしてその彼らの思想が「老荘思想」と称され、道教の中心的な理念となっているかは知られていないかもしれません。

そこで、今回の記事では老子と荘子の二人が提唱した思想について詳しく掘り下げていきたいと思います。それらが何を意味し、どのような影響を及ぼしたのか、そしてまた、それがどのように儒教と相違しているのかを説明します。

老子について

先ず最初に、道教の重要な思想家である老子について詳しく探求してみましょう。彼について最も詳細に記述されている書物は、中国の歴史家、司馬遷による『史記』です。この歴史書によれば、老子は図書館の職員として比較的目立たない生活を送っていたと記されています。控えめでひっそりとした暮らしを送りつつも、彼は深遠な哲学的思想を持っていました。

老子が自身が長年生活してきた国が徐々に衰退していることを察知し、そこで彼はその国を離れる決断を下します。そして、彼がその国を去る際に、同僚の職員から「出国する前にあなたの思想を書き残していただけませんか」と頼まれると、彼はそれに応えて『老子道徳経』という著作を残します。この著作は、彼自身のことを表すのにも用いられ、「老子」と呼ばれます。

その後の老子がどうなったのか、その消息は不明です。彼が具体的にいつ生き、どの地域から旅立ったのかさえ、はっきりとは知られていません。さらに、後の儒教の創始者である孔子が老子に教えを請うために訪れたというエピソードまであるため、老子はほとんど神話的な人物とも見なされることがあります。

しかしながら、その存在が神話的であれども、老子の思想が少なくとも紀元前400年ごろから存在していたこと、そして彼の思想が他の思想家たちに大きな影響を及ぼしたことは、疑いの余地なく事実とされています。老子の個人的な生涯については多くの謎に包まれていますが、彼の深遠な思想は世代を超えて継承され、今もなお私たちに多大な影響を与え続けています。

老子思想の4つの概念

老子の思想の中で、特に重要な概念が4つあります。これらの概念は、彼の哲学の基礎を形成し、道教の骨格を形成しています。それぞれの概念を詳細に掘り下げ、具体的な例や補足を交えて説明していきましょう。

まず一つ目の概念は、「道」です。英語では”The Way”と翻訳されます。この「道」は、天地が生まれるよりも前から存在していたとされる原初の法則、あるいは理念を指します。全ての存在、生命、事象の源泉であり、全宇宙の秩序や運動を司る原理とも言えます。道教では、この道こそが全てのものを生み出し、育て、そして終焉へと導く存在とされています。

しかし、「道」はとても抽象的な概念であり、人間の言葉で完全に定義し切ることはできないと老子は説きます。つまり、「道」という名前自体が、我々がこの存在を理解しやすいように、または説明しやすいように付けられたものに過ぎないというわけです。

例えるならば、想像を絶する大海原に浮かぶ小船が「道」にたとえられるかもしれません。その海原は無限に広がり、深く、静かでありながらも時には荒れ狂う存在です。その海原が全ての生物を生み出し、育て、そして死へと導くと同様、道も全ての存在を生み、育て、そして最終的には終焉へと導くとされています。

この抽象的かつ全包的な「道」は、老子の思想、そして道教全体の中心的な概念であり、その理念や行動指針の基礎をなしています。次に述べる概念も、「道」を根底に据えつつ展開されていきます。

無為自然

次に重要な概念として挙げられるのは、「無為自然」です。これは人間の手が不自然に介入することなく、「道」に従い、物事が自然な流れで進行する状態を指します。老子は、不自然に人間の手が加えられることを強く批判し、全てが自由に、自然の流れに沿って生じる状態を理想としました。

無為自然の概念は、人間の介入や制御が最小限に抑えられ、全てが自然の法則に従って運動するという哲学的な理念を表現しています。言わば、川が自然に流れ、草木が自然に成長し、雲が自然に形を変えるように、全ての事象がそれぞれの本質に従い、自然な流れに沿って進行する状態を指します。

ここで、老子の有名な言葉を引用すると、「大道廃れて、仁義生じた」というものがあります。これは、かつては「道」に従って自然な秩序が存在していたのに、それが失われてしまった結果、後から不自然に人間が作り出した道徳的な規範、つまり仁義などが必要となったという意味です。

この考えは、儒教の創始者である孔子の主張と対比されることが多いです。孔子は「仁」、「義」といった道徳的な規範を強調しましたが、老子はこれを否定し、それらの規範が必要となる状況自体が、本来あるべき「道」からの逸脱であると説きました。つまり、老子は物事が自然に、無為に進行することこそが最も理想的であり、それが「道」に従った、自然な秩序であると考えたのです。

和光同塵

三つ目の概念は、「和光同塵」です。これは、一見難解な言葉ですが、解釈すると深い意味が含まれています。「和光」とは、「自己の知識や才能を静かに持つ」ことを指し、「同塵」とは、「世間一般と混じり合う」ことを意味します。したがって、「和光同塵」は自分の優れた知恵や才能を目立たせず、大衆の中で穏やかに暮らすことを指す言葉となります。

この考え方は、老子自身の生き方を体現しています。老子は図書館の役人として地味な生活を送りながら、自身の深遠な思想を紡ぎ出していました。その生活スタイルは、まさに「和光同塵」の精神を表していると言えます。

ここで具体的な例を挙げると、森の中にある立派な木を思い浮かべてみてください。その木が大きくて美しいほど、人々の目を引き、最終的には木材として切り倒されてしまうことが多いです。一方、目立たない木々は長く生き続けることができます。

老子はこの例を人間社会にも当てはめ、その知恵や才能をひけらかす人々は、結果として問題を引き寄せることが多いと説きました。逆に、自分の才能を静かに持ちつつ、世間一般の中で穏やかに暮らす人々は、長く安定した生活を送ることができるとの視点を示しています。これが「和光同塵」の理念であり、老子が提唱した道教の一つの重要な教えとなります。

小国寡民

最後の4つ目の概念として、「小国寡民」が挙げられます。これは、老子が理想とする国家像の一つで、国土が小さく人口が少ない状態を指します。この考えは、適度な欲望と生活の充足、さらには国家の規模と治理の手法についても考察します。

老子は、自分が着ている服や食べている食べ物、住んでいる家に満足できるならば、他人を羨む必要もなく、また国土を拡大する野望も生まれないと説いたのです。具体的な例として、自分が必要なものを満たしている状態であれば、他人がどのような豪華な生活を送っていようとも、それに嫉妬したり、自己の生活をより大きなものにしようとする欲望は生まれないということです。同じく、国家が必要とする資源や領土がすでに揃っている状態では、他国を侵略したり、領土を広げようとする必要性もなくなるでしょう。

この考え方は、老子の基本的な哲学である「道」に沿っており、自然な状態を大切にし、世界や人間が本来あるべき姿を説くものです。つまり、無駄な欲望を抑制し、現状に満足することで、個人も国家も平和で調和のとれた状態を維持できると老子は考えていたのです。

この視点から見ると、儒教の創始者孔子が具体的に人間や組織のあり方を説いたのとは対照的な考え方を老子は持っていました。孔子が個々の人間の道徳性や社会の秩序を強調したのに対し、老子は無為自然を基本とすることで社会全体の調和と平和を重視したのです。

荘子について

道教のもう一人の重要な哲学者である荘子について詳しく説明しましょう。荘子は、『史記』によれば紀元前369年頃に小さな国で生まれ、貧しい環境で質素な生活を送っていました。しかしその状況にもかかわらず、荘子は非常に自由な精神を持っていたとされています。

荘子は、老子の思想を身を以て体現していました。特に「無為自然」の考え方を重視し、物事に対して不自然に人間の手が介入することを否定していました。彼は、この考えを自身の著書である『荘子』の中で「齊物論」と称し、表現しています。荘子は、世間一般の規範や制約に縛られず、自由な世界でありのままの生き方を貫いたのです。

荘子と老子の思想の一つの違いとして、老子が国や政治のあり方に言及していたのに対し、荘子はより個人に焦点を当てて言及したことが挙げられます。両者ともに思想の根幹を「道」に置いていましたが、その道に対する理解や捉え方には微妙な違いが存在しました。

荘子の思想の代表的なものとして、「万物斉齊」が挙げられます。人は自然と何が正しくて何が間違っているのかを判断したがりますが、荘子はその判断が他者との比較によって成り立っていると考えました。比較するものがなければ、対立や差別、さらには善悪の概念すら存在しないと彼は認識しました。

胡蝶の夢

『荘子』には、荘子自身が実際に体験したとされるストーリーや譬え話が紹介されています。その中でも特に有名なものとして、「胡蝶の夢」があります。ある時、荘子は蝶になる夢を見ました。夢の中で、彼は自己が荘子であることを忘れ、蝶として快適に飛び回っていました。しかし目を覚ますと、自分が確かに荘子であると認識しました。そして彼は考えました、「自分が蝶になる夢を見た

のか、それとも蝶が自分になる夢を見ていたのだろうか?夢と現実の違いは何なのだろう?」。これは「自分が何であるかは本当には誰も分からない」という哲学的な問いを表現したエピソードで、万物斉齊の思想が示されています。

亀の甲(かっこう)を引く

次に、荘子のもう一つの著名な故事、「亀の甲(かっこう)を引く」という話を詳しく説明しましょう。

この話は、ある国の王が、荘子の優れた知識と才能を聞きつけ、使者を派遣して彼を重要な政治家として招聘しようとしたというものです。しかし、荘子はこの誘いを断り、代わりに使者に対してある疑問を投げかけました。彼は使者に問いました、「殺されて甲羅だけが壁に飾られる亀と、泥の中を自由に泳いでいる亀、どちらが良いと思いますか?」

この問いは、高い地位や名声に固執するよりも、自由で質素な生活を選ぶ荘子の哲学を象徴しています。つまり、豪華な甲羅を持つ亀が高貴な場所に飾られても動けずにいるのではなく、たとえ泥の中であっても自由に生きていることの方が良いというのが彼の考えです。さらに言えば、高い地位にあっても自由を制限されるよりは、質素でも自由に生きる方が良いというのが、荘子の自然を尊重する哲学を象徴しています。

荘子のこのような独自の思想は、世間一般からはかけ離れていたとも言えます。しかし、彼の洞察力と才能は広く認められ、国家の重要なポジションへの招聘が次々と寄せられました。しかしながら、荘子自身は「亀の甲を引く」の話からも理解できるように、高い役職や政治的な権力にはまったく興味を示さず、その申し出を断り続けました。彼が望んだのは、自由で無制限な生活、すなわち、自己の道を自由に追求することでした。

荘子は、世間のしがらみから離れ、自分自身と人間の在り方について深く追求し続けました。ここまで、老子と荘子、二人の重要な道教思想家である老荘思想について詳しく説明してきました。

道教と様々な思想の結びつき

道教の思想は、さまざまな信仰や理念が融合した形で存在します。最初の道教は、神々や精霊との交流や病気を治す儀式のような宗教的側面が強い形態で、人々の間に広まり始めました。

その中でも特筆すべき一つが神仙思想と呼ばれるものです。これは、不老不死の存在(選任)がこの世に実在し、人間もまた1000人になることが可能であるという信念に基づいています。人間が空中を自由に飛べるように体に羽が生えたり、現在の中国の蓬莱周辺に不死の薬が存在するといった説も流れており、これらの信念をもつ人々は「線」と称されました。仙人になるためには、修行や特別な薬が必要だと考えられ、その探求は長い間続けられました。

これらの思想の影響は、中国の文化や科学にも大きな影響を与えたと言われています。例えば、漢方医学などの医学の発展には、道教の神仙思想からの影響が見られます。

古代の宗教的習慣や仙人になるという考え方、さらに老子や荘子による抽象的な思想は、現実的な儒教と比較すると、道教が神秘的な要素を多く含んでいると捉えられることもあります。

一方、儒教では、思いやりや礼儀作法、親や目上の人を大切にするという考えが強調されています。これに対し、道教では、人が無理をせず、自由に生きることを推奨します。儒教が人間の「正しい」あり方を模索するとすれば、道教は人間が「自然な」生き方を模索する思想であると言えるでしょう。

ただし、このような道教の思想は、国や会社などの組織をまとめる立場の人々にとっては扱いづらいと感じることもあるでしょう。権力者にとっては、目上の人を尊重し、君主に尽くす心を持つ儒教の教義の方が、自分たちの目指す社会秩序を維持するのに都合がよいからです。

それ故に、儒教の教えが広まりやすかったと考えられます。孔子が儒教を成立させた時代は、小さな国家同士が勢力を広げるために争いを繰り返していました。また、読み書きのできる知識層が少ない時代でもあり、国力を拡大し、秩序を維持するための戦略を考えることが求められていました。

その一方で、老子や荘子は、国の政治から距離を置いて、自由な生き方を選択しました。儒教的な思想である「目上の人を尊重し、君主に尽くす」考えと、道教的な思想である「規範に縛られず自由に生きる」考えは、現代でも対立する意見となっています。

日本では戦後、儒教的な考えが広まり、それが企業組織の強化と経済成長をもたらしました。

まとめ

私たちがこれまで見てきたように、道教と儒教の教えは、中国の文化と哲学、そして世界全体の思想に対して多大な影響を与えました。近年、日本や他の社会では、働き方の再考や生き方の再評価に対する強い意識が見られます。この動きは、一部は欧米化の影響であると言えますが、他方では、道教的な思想――すなわち、自然の法則に従った生き方、自由を尊重し、強制や偏見からの解放――が広まってきたとも解釈できます。

日本の社会において、仏教や儒教の教えは比較的広く認識されていますが、道教の教えはまだ十分に理解されていないかもしれません。しかし、これは必ずしも道教が良いとか悪いとか評価されるべきではありません。むしろ、私たちにとって、異なる視点を持つことは非常に重要です。

道教と儒教のように、一見対立するように見える思想を学ぶことで、自分自身の思想や人生の目指す方向を自然に見つめ直すことができます。その結果、自分の価値観を見つけ、理解する機会につながります。儒教的な教えに共感を覚えるかもしれませんし、あるいは道教的な自由と自然への尊重に引きつけられるかもしれません。あるいは両方の要素から何かを得ることも可能です。

何が好きで、何が嫌いかを探求することで、自分自身の価値観が洗練されていきます。だからこそ、異なる哲学や思想について学び、理解し、それらを自分自身の人生にどのように適用できるかを探求することは、自己成長と自己理解の重要な一環なのです。

このブログを通じて、読者の皆さまが道教について新たな知識と洞察を得られたことを願っています。

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