仏教の宗派の違いをわかりやすく解説します。

哲学

仏教の宗派の違いをわかりやすく【開祖とその教えから修行方法まで】

あなたが日常でよく耳にする”仏教”という言葉。それは単に寺やお坊さんを思い起こさせるだけのものでしょうか?多くの日本人が親しみを感じる「菩提寺」。

それは何かしらの場所で、私たちが必ずと言っていいほどお世話になっている存在です。

しかし、その中には各々の宗派、その深遠な教義の違いが存在します。

それはなぜ重要なのでしょうか?それは、あなたのご先祖様がどんな思想を持っていたのかを理解することが、私たち自身の生き方、価値観を深く考察し、見つめ直すきっかけになるからです。

そこで今回は、仏教の宗派の違いについて、わかりやすく解説させていただきます。

浄土宗

まず最初に、浄土宗について詳しく解説していきます。浄土宗は法然という名の僧侶によって創設された宗派です。法然はその功績から「円光大師」という称号を授かっています。この称号は、仏教界で特に優れた功績を残した僧侶に贈られる、まるで勲章のようなものです。

仏教について一般的に考えるとき、その目指すものは何かと問われれば、それは「悟り」を開くことです。この「悟り」を簡単に言い換えるならば、世の中の全てを理解する、ということになります。日々の出来事、世界の運営の仕組み、全てを完全に理解すること、それが「悟り」を開くということです。この「悟り」を開くことを、また別の表現として「成仏」と呼ぶこともあります。

では、仏教ではどうやって成仏するのでしょうか。一般的には、生きている間に修行を積むことにより成仏を目指します。しかし、浄土宗の考え方はここで少し異なります。

浄土宗では、人間は死ぬと最初に極楽浄土という理想の修行の場に行くと教えられています。そこで初めて、修行により真の成仏を達成することが可能となるとされています。この教えを逆に解釈すれば、生きているうちに行う修行では、結果的に成仏は達成できないということです。

ですので、浄土宗では生きている間に「南無阿弥陀仏」という念仏を唱え、極楽浄土へ行くことを目指すという思想を持っています。この「南無阿弥陀仏」という言葉は、浄土宗の本尊である阿弥陀如来に対する帰依の意を表現しています。

これを簡潔にまとめると、浄土宗の教えとは「阿弥陀如来を信じ、念仏を唱えることで極楽浄土へ行くことができ、そこでの修行によって成仏できる」という考え方である、ということになります。

浄土真宗

次に、浄土真宗について詳しく解説していきましょう。浄土真宗は親鸞という僧侶が創設した宗派です。親鸞は前述の法然の弟子であったため、浄土真宗はその教えを受け継ぐ形で発展しました。そのため、基本的な教義は浄土宗と共通しますが、その中にも特異な考え方が存在します。

浄土真宗では、極楽浄土に到達した後に特別な修行を行う必要はないとされています。その教義は、「極楽浄土に行けば自ずと成仏できる」という考え方を反映しています。

さらに、浄土真宗の教えでは「他力本願」という思想が大きな役割を果たします。「他力本願」とは、仏が私たち人間を、私たちがそれを願うか願わないかに関係なく、救い出してくれるという信念を表しています。これは、仏が私たちを無条件で救済するという大きな慈悲を表す考え方です。

したがって、浄土真宗では、極楽浄土へ行くことが何よりも重要とされています。そこに至るためには「念仏を唱える」ことが推奨され、その実践が教えられています。つまり、浄土真宗の教義とは「念仏を唱えて極楽浄土に行き、仏の救いを受け入れて成仏する」ことといえます。

真言宗

次に、真言宗についてお話しします。真言宗は空海という僧侶が開いた宗派で、空海は国から「弘法大師」という尊号を授かっています。この弘法大師から由来する「弘法も筆の誤り」という言葉は、彼の高い学識を示しています。

真言宗は”密教”の一派であり、これは一般的に”三密”と呼ばれる教義が特徴的な宗派です。”密教”とは、その教えが一般には公開されず、主に直接の信者へと秘密裏に伝えられる仏教の形態を指します。それゆえに、その全貌を明らかにすることは困難ですが、一部を概説すると「即身成仏」の教えが特徴的です。

多くの仏教の宗派では、「数劫の修行」が成仏のために必要とされます。”劫”とは、非常に長い時間の単位で、古代インドでは秒や時間といった通常の時間の単位に加えて、何年もの時間を表すために使われました。しかし、真言宗では、「即身成仏」すなわち、今この瞬間にも成仏が可能であるという教えを強調しています。これは仏教の歴史の中でも非常に革新的な考え方であり、宗教学においては真言宗の密教が常に取り上げられます。

ちなみに、真言宗はその教義の特殊性から、真言宗の僧侶になるためには多くの儀式や作法を覚えなければならないと言われています。これは、真言宗が持つ特異な教義を反映したものでしょう。

天台宗

天台宗について解説します。天台宗は最澄という僧侶が開いた宗派で、彼は国から「伝教大師」の尊号を授かっています。

天台宗の教義について触れると、この宗派も実は密教の一部を取り入れています。そのため、最澄は空海との交流があった時期がありました。ただし、密教の解釈や実践において、空海が率いる真言宗がより高い完成度を持っていたとされています。この点において、伝えられるエピソードとして、最澄が空海に密教の経典を貸して欲しいと頼んだものの、空海は「経典を貸すだけでその理解が可能とは限らない」としてこれを断ったという話があります。

特筆すべきなのは、天台宗が特定の本尊を決めていないという点です。多くの宗派では特定の仏像や象徴を本尊として崇めますが、天台宗ではその限りではありません。ただし、実際のところ、信者たちは阿弥陀如来を多く祀ることが一般的とされています。

日蓮宗

日蓮宗について詳しく説明します。日蓮宗は日蓮という僧侶によって創立された宗派であり、日蓮自身は国から「立宗大師」の尊号を授けられています。

日蓮宗の特徴的な教義として、「妙法蓮華経」を中心に据えることが挙げられます。具体的には、彼らはこの一つの経典の教えを深く理解し、極めることを重視しており、他の経典はほとんど使われないという点が特徴的です。これは一つの教えを深く追求し理解するという信念に基づいています。

「妙法蓮華経」の教えについては、現在でも議論が活発であり、さまざまな解釈が存在します。ただし、その本質を一言で表すなら、それは「すべての人の苦悩を根本から解決する教え」であると言えるでしょう。

さらに、この宗派の呼び名については、江戸時代までは「法華宗」や「日蓮法華宗」などと呼ばれていましたが、現在では「日蓮宗」という名称に統一されています。

臨済宗

次にご紹介するのは臨済宗についてです。臨済宗は、栄西という僧侶が創設した宗派です。

臨済宗が他の宗派と一線を画す特徴的な点は、修行の方法として坐禅を導入していることにあります。この坐禅とは、静かに座って自身の心と向き合い、深い内観を行う修行方法であり、”ぼーっとしている”状態や”打坐”などと表現されることがあります。

さらに、臨済宗の基本的な信仰体系については、成仏のために必ずしも経典に頼る必要はないとされています。

それはなぜかと言いますと、臨済宗の教えでは、私たち人間の心の本質は本来仏と同じであり、それは人間自身と大きく離れた存在ではないとされているからです。したがって、自分自身の心の性質が仏と同質であるという真理を理解し、自覚することで、成仏が可能とされています。

黄檗宗

次は黄檗宗についてです。黄檗宗は、黄檗奇運という僧侶が開設した宗派です。重要な点として、黄檗奇運は唐の僧侶であり、日本出身の僧侶ではないという事実があります。

そして、黄檗宗の教えや修行方法は、前述した臨済宗と大きな違いがないのです。言い換えれば、黄檗宗は一種の臨済宗の”唐バージョン”とも言えるでしょう。それぞれの教えの特性を調査する際、黄檗宗と臨済宗はしばしば比較対象とされますが、それはこれら二つの宗派が実際に多くの共通点を持っているからです。

ただし、時系列的な視点から見ると、実は黄檗宗の方が臨済宗よりも先に存在していたとされます。この点はしっかりと理解しておくべきでしょう。

曹洞宗

次に曹洞宗についてです。曹洞宗は、僧侶である道元によって創設された宗派です。道元は、国から”常陽大師”という称号を授けられました。曹洞宗は修行方法として座禅を取り入れる宗派の一つですが、前述した臨済宗とは異なるアプローチをとります。

臨済宗は「公案」という方法を使用します。これは、ある特定の課題について深く思考し瞑想する方法です。しかし、曹洞宗の方法はこれと異なり、何も考えないこと、あるいは無思考状態になることを目指して座禅を実践します。この坐禅法「黙照禅」と呼ばれます。

では、なぜ曹洞宗はこのような座禅の形式を選択したのでしょうか。その理由は、曹洞宗が「悟りを開くために修行をする」という考え方を持つのではなく、「修行そのものの中に悟りが存在する」という哲学を持っているからです。つまり、修行の中に自ずと悟りが含まれており、修行そのものが目的であり、その過程で自然と悟りに到達するという信念があります。それゆえに、無思考の状態、すなわち「無念無想」を目指すのです。

法相宗

次は、法相宗について詳しく解説します。法相宗は、黄というお坊さんによって開かれました。この宗派は他の多くの宗派と異なり、一つの主流派のみを有しています。それは、つまり分派が存在しないということです。また、法相宗は葬儀を執り行わない宗派の一つでもあります。これは、日本の仏教宗派の中では特異な存在です。

法相宗の教義は、前述の真言宗の「即身成仏」という理念とは正反対の思想を持っています。即身成仏とは、すぐにでも仏になることが可能だという理念でしたが、法相宗では極めて長い年月をかけなければ成仏することはできないと説く考え方を取っています。この立場は、成仏には膨大な時間と努力が必要だという古い仏教の思想を反映しています。

法相宗が成立したのは、真言宗よりもずっと前のことで、仏教の思想史の中では初期の段階に位置しています。つまり、法相宗の教えは仏教の歴史的背景を理解する上で重要な一環と言えるでしょう。

律宗

次に紹介するのは、律宗についてです。律宗は、非常に有名なお坊さんである鑑真によって開かれました。この宗派は、分派を持たず、主流派だけが存在します。また、法相宗と同じく、律宗も葬儀を行わない宗派の一つとして知られています。

律宗はその名が示すように、仏教の戒律を極めて重視する特徴があります。多くの他の宗派では経典や教えの中の理論的な面を大切にしますが、律宗では最優先されるのは戒律の厳格な遵守です。

例えば、誰かがお坊さんになりたいと考えた場合、その人は「具足戒」と呼ばれる一連の戒律を授かることになります。そしてその遵守すべき戒律の数は、男性のお坊さんであれば250個、女性のお坊さんであればなんと348個も存在します。律宗では、これらの戒律を国家の法律以上に厳格に守ることを求められていました。

律宗の思想は、戒律によって人間を律することで、悪い行為を防ぎ、良い行為を奨励するという考え方を採っています。そしてその結果、その人が積極的な行動を通じて善行を積むようになると主張します。

華厳宗

次に詳しく説明するのは華厳宗についてです。華厳宗は杜順というお坊さんによって開かれました。華厳宗もまた、葬儀を行わない宗派の一つとして知られています。

華厳宗の特徴的な教義は、「一切がそのまま真実であり、真実がそのまま一切である」という、非常に深遠で難解な思想です。この教義は全体と個体、宇宙と個々の存在が、お互いに影響を与え、反射し合って存在しているという相互浸透・相互包摂の理念を示しています。この概念を説明するためには、かなりの量の説明と解説が必要となります。映画一本分の時間が必要なほどその内容は複雑で、詳細に渡るため、この場ではその概念の表面的な説明に留めざるを得ません。

しかし、要するに、華厳宗の教えは、全ての存在が互いに関連し合い、一つ一つが世界全体を反映しているという世界観を示しています。全ての存在が相互に結びつき、その一つ一つが無限の世界を内包しているとするこの教えは、一見、理解し難いかもしれませんが、仏教の究極の真理を示す教義とされています。

融通念仏宗

次に紹介するのは融通念仏宗についてです。融通念仏宗は良忍というお坊さんによって創設されました。この宗派のご本尊は、「十一尊天得如来像」と呼ばれます。少々難解な読み方かもしれませんが、これは仏教の菩薩の一つであり、慈悲深く、人々の苦しみを救う存在とされています。

融通念仏宗の信者は、「日課念仏」を修行の基本としています。これは、毎日100回の念仏を唱えるという実践で、日々の修行として行われます。このような日課を毎日続けることは一見大変そうに思えますが、これにより信者たちは自己の精神を磨き、仏道に進むとされています。

この宗派の名前、「融通念仏宗」はその独自の思想から名付けられました。融通念仏宗では、全ての物事が相互に影響を与え合い、「融通」しているという考えを持っています。それにより、一人一人の念仏が全ての人間に対する功徳、つまり福徳や利益をもたらすという考え方があります。それゆえ、この宗派の名前には「融通」という言葉が用いられています。

なお、融通念仏宗には分派は存在せず、一つの宗派として統一されています。この宗派は、信者が日々の生活の中で念仏を唱えることにより、仏教の教えを身近に感じ、自己の心を浄化することを重視しています。

時宗

最後に紹介するのは時宗についてです。時宗は一遍というお坊さんが開いた宗派で、一遍は「聖一遍上人」の名で知られています。一遍は、当時の宗教界に新たな風を吹き込んだ人物であり、その教えは広く民間に浸透しました。

時宗の特徴的な教えとして、いわゆる「踊り念仏」が知られています。これは、念仏を唱えながら踊ることで、仏教の教えを身体を通じて実感するという修行法です。この宗派のご本尊は阿弥陀如来とされています。阿弥陀如来は仏教の中でも特に人々の信仰を集める存在で、西方極楽浄土の仏として知られています。

しかし、時宗では阿弥陀如来への信仰心があろうがなかろうが、念仏を唱えることで最終的には成仏できるという考え方を持っています。これは一遍の教えの核心であり、「一切衆生悉有仏性」すなわち「全ての生きとし生ける者は仏の資質を持っている」という仏教の基本的な教えを反映しています。

先ほど触れた踊り念仏ですが、現代では実施するところが少なくなってしまいました。そのため、この伝統は日本の無形文化財に指定されており、その継承と保存が期待されています。このような日本の伝統文化が守られ続けることは、文化の多様性と持続可能な社会を保つ上で非常に重要です。

終わりに

それでは、ここで今日のブログ記事を締めくくらせていただきます。今回私たちが一緒に見てきたのは日本の13の主要な仏教宗派の紹介でした。各宗派が持つ独特の特徴や教義の違いに触れながら、その多様性と深遠さについて考察する機会となりました。

ご覧になってお分かりの通り、これだけでも多種多様な教えが存在し、それぞれの宗派が独自の視点と解釈を持っていることが明らかとなります。今回は易しく理解できるよう、それぞれの宗派の表面的な特徴に焦点を当てて解説しましたが、興味を持たれた宗派についてはぜひ自身で深く調べてみてください。

私たちは日々、自覚的であろうと無自覚であろうと、何かしらを信じたり疑ったりしながら生きています。それらの信念や疑念が、私たちの価値観を形成し、行動を左右することでしょう。だからこそ、様々な思想や教義を学ぶことは、自分自身を見つめ直すきっかけにもなるはずです。

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