
京の都に、長き戦乱の嵐が吹き荒れた。
その名は「応仁の乱」。十一年にわたって続いたこの戦いは、もとは将軍家の跡継ぎをめぐる小さな火種にすぎなかった。だが、山名宗全と細川勝元という二大勢力の対立、畠山氏や大名たちの家督争い、そして足利義政の優柔不断が重なり、やがて誰も制御できぬ大乱へと姿を変えていく。
「なぜ戦うのか」――当事者さえも答えを見失うほどの混迷。
焼け落ちる京の町、行き場をなくした民衆、裏切りと寝返りが繰り返される武士たち。
そして、戦いの果てに待っていたのは、幕府の権威の失墜と、新たなる「戦国の世」の幕開けだった。
これは、歴史を大きく変えた十一年の物語。
応仁の乱、その混沌と人間模様をたどる旅へ――。
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第一章:火種の誕生
室町幕府八代将軍・足利義政。
その日々は、平穏で華やかに見えて実は危うい均衡の上に成り立っていた。義政は文化や美術をこよなく愛する人物で、政治の細やかな駆け引きよりも、庭園造営や書画の収集に心を寄せる性分だった。だが「将軍家を次代にどう継がせるか」という問題だけは避けられぬ現実として、義政の前に横たわっていた。
当初、後継には弟の義視が内定していた。義視は真面目で実直な性格と評判で、武家の支持も厚く、周囲も納得の選択と見ていた。義視自身も、兄に代わって幕府を支える覚悟を固めていた。
しかし運命は、静かにその道筋を狂わせる。
義政と正室・日野富子の間に、待望の男子・義尚が誕生したのである。
「わが子が将軍になる……!」
富子の胸には母としての喜びと同時に、強烈な野心が芽生えた。彼女は強い意志を持つ女性であり、夫の優柔不断をよく知っていた。義視に将軍職を譲れば、自分と息子の未来は閉ざされてしまう。ならば――義尚こそ正統の後継者に据えねばならぬ、と。
一方の義視は、突然の状況の変化に困惑した。
「兄上が約束を翻すというのか……?」
義視にとって、義尚の誕生は祝福すべきことであると同時に、自らの立場を揺るがす脅威でもあった。彼の背後には、義視を支持する細川勝元ら有力大名の存在があり、彼らの思惑も絡んでくる。
こうして将軍家の跡継ぎをめぐる小さな溝は、日野富子と義視、そして義政の優柔不断によって次第に広がっていった。表面上はまだ静かな宮廷の空気。しかしその裏で、各大名たちは誰を支持すべきか、どの陣営に属すべきかを探り始める。
京の都の空気は、まるで夏の雷雨前のように張りつめていた。
まだ誰も、この火種がやがて十一年に及ぶ大乱の引き金となることを知る者はいなかった。
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第二章:東西両軍の分裂
将軍家の跡継ぎをめぐる亀裂は、ついに京の大名たちを二分する大きな断層となった。
義視を支持するのは、幕府の管領・細川勝元。彼は冷静沈着にして計算高く、幕府の実務を取り仕切る立場からも「義視こそが次代の将軍にふさわしい」と主張した。勝元にとって、義視は安定した政権を築くための最良の選択であり、彼の権威を裏づける存在でもあった。
対するは、西軍の旗頭・山名宗全。彼は武勇と気迫に満ちた大大名で、「六分の一殿」と呼ばれるほどの広大な所領を誇っていた。宗全は義尚を後継とする日野富子に接近し、義政とその一派を取り込むことで、自らの影響力を幕府の中枢にまで及ぼそうとしたのである。
こうして、義視を推す「東軍」と、義尚を推す「西軍」の対立構図が明確となった。
だが火種は将軍家だけではなかった。
畠山家では、家督をめぐり畠山政長と畠山義就(吉宏)の争いが勃発していた。両者は武力での解決を図り、京に血の雨を降らせる。政長を支援するのは細川勝元、義就を支えるのは山名宗全。もはや家督争いは、東西両軍の戦いそのものと化した。
さらに斯波氏、京極氏といった三管領の家にも後継争いが持ち込まれ、各地の守護大名は自らの利を求めて陣営を選ぶ。こうして本来は「将軍家の後継」をめぐる問題にすぎなかったはずの争いが、諸大名の思惑を吸い込みながら、巨大な戦乱の渦へと膨れ上がっていく。
京の都は不安に揺れた。表向きはまだ静謐を保っていたが、屋敷の裏では武具が磨かれ、兵糧が蓄えられ、剣呑な空気が漂い始める。商人や町人たちは戦の影を感じ取り、次第に身の振り方を模索しはじめていた。
「いつ、刃が交わるのか」
誰もがそう囁きながら、嵐の到来を待つほかなかった。
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第三章:京都の街に嵐
1467年――応仁元年。
ついにその時が訪れた。
五月二十六日、相国寺を中心に東西両軍の兵が激突する。京の都は一瞬にして戦場へと姿を変えた。僧たちの読経の声が響いていた静かな伽藍は、鬨の声と火矢に包まれ、黒煙が天を覆った。
東軍を率いる細川勝元は、計算高い采配で兵を展開させ、秩序をもって戦に臨む。
「義視様を将軍に据える、この一戦に勝たねばならぬ」
彼の兵たちは規律を保ち、武士の矜持を胸に刃を振るった。
一方の西軍・山名宗全は、豪胆な気迫をもって軍を鼓舞する。
「義尚様こそ正統の御子ぞ!義視などに未来は託せぬ!」
その叫びとともに放たれる火矢が、町家や寺社に次々と火を移していく。
市街は瞬く間に炎に包まれた。
母を抱え逃げ惑う子、必死に荷を背負って走る商人、泣き叫ぶ声があちこちで響く。京の町人たちにとって、これは将軍の跡継ぎをめぐる争いなどではなかった。ただ、生き延びるために逃げ惑うしかなかった。
しかし、いかに兵がぶつかり合おうと、勝敗はつかなかった。東軍・西軍ともに膨大な兵力を持ち、誰も決定的な一撃を与えられぬまま、戦火だけが広がっていく。
そして戦乱の中心にいるはずの将軍・足利義政はといえば――。
彼は銀閣寺の構想を練り、書画や香道に没頭していた。決断を迫られてもなお、政治から目を逸らし続ける義政。彼の優柔不断は、戦の炎を静めるどころか、かえって長引かせる結果となる。
「何のために戦っているのか」
すでに兵たちの胸には疑念が生まれ始めていた。だが、剣を収めることは誰にもできない。
京の都に吹き荒れる戦の嵐は、終わりを知らぬ長き戦乱の幕開けにすぎなかった。

第四章:足利義視の離反と足利吉見の逃亡
応仁の乱が始まって数年――。
戦は拮抗し、都は荒廃の色を深めていた。東軍・西軍ともに決定打を欠いたまま、互いに疲弊しつつも、戦の炎は衰えることを知らない。
この泥沼の戦のさなか、将軍家そのものを揺るがす事件が起きる。
義政の弟であり、東軍が擁立する「将軍候補」足利義視が、兄の不誠実と妻・日野富子の策略に業を煮やし、ついに離反の道を選んだのである。
義視は当初、義政に忠実だった。
「兄上に代わり、幕府を安定させねば」
そう信じて細川勝元と手を携えてきた。しかし義政は、富子の意向に押され、なおも息子・義尚を後継とする姿勢を崩さなかった。義視は裏切られた思いを抱き、やがて東軍から離反し、西軍に身を投じる決断を下す。
この裏切りは、東軍にとって衝撃だった。
「将軍候補そのものが敵に回るとは……」
兵たちは動揺し、戦線は一時的に乱れる。だが、義視の決断も決して安泰ではなかった。彼は西軍に迎え入れられたものの、「裏切り者は再び裏切るのではないか」と常に疑念の目で見られ、次第に孤立していくことになる。
さらに混迷を深めたのが、もう一人の足利一族――義政の異母兄、足利吉見の存在だった。
かつては僧侶であった吉見もまた、戦乱の渦中に引きずり込まれ、西軍の将軍候補として担ぎ上げられていた。しかし、彼はこの混乱に嫌気が差し、やがて戦場からの逃亡を選ぶ。
「これは、もはや将軍家の争いではない……」
吉見はそう嘆き、僧衣に戻るかのように戦場を離れた。だがその逃亡は、西軍の威信を大きく損ない、戦況をさらに混沌とさせる結果となる。
裏切り、寝返り、逃亡――。
誰が味方で、誰が敵なのか。京の戦場ではその境界が次第に曖昧になり、戦の目的すら霞んでいく。
この頃、町人たちはこう囁いたという。
「義視も吉見も……結局は自分の身を守ることしか考えておらぬ。ならば我らの命など、誰が守ってくれるのか」
京の都に漂うのは、もはや希望ではなく、果てしなき絶望の空気だった。

第五章:戦乱の激化と総大将の死
京の町は、もはや往年の雅を失っていた。
戦火は市街を焼き尽くし、かつて賑わった商家や町並みは瓦礫と灰に変わっていた。飢えた民は打ち捨てられた屋敷に潜り込み、瓦の下から米粒を探し、川辺に落ちた馬の死骸を争って食らった。
その荒廃の中で、戦乱はますます泥沼化していく。
東軍・西軍ともに兵を補充しながら戦い続けたが、勝敗を決する一手は見出せなかった。家督争いや地盤拡大を狙う諸大名が次々と参戦し、戦場は京にとどまらず各地へと広がっていった。
そんな折、運命を揺るがす出来事が訪れる。
応仁二年(1468年)、西軍の大黒柱・山名宗全が病に倒れたのである。
「西軍は宗全に生かされ、宗全とともに戦ってきた」
そう言われるほど、宗全の存在は重かった。武勇と威勢で兵を束ね、細川勝元に対抗し得るただ一人の男――。だが、その宗全が六十を超える年齢で病に伏すと、西軍の結束は急速に揺らぎ始めた。
病床に伏した宗全は、それでも最後の力を振り絞り、戦を続けようとした。
「義尚様の御代を守るのだ……!」
彼の声に応じて兵は戦場に立ち続けたが、主将の影が弱るにつれて士気は落ち、陣営の内部には不安と疑念が広がった。
一方、東軍の細川勝元もまた、戦の長期化に疲弊していた。
冷静沈着な勝元も人の子であり、幾度も敗北と勝利を繰り返すうちに心身を蝕まれていた。
そして文明五年(1473年)、ついに勝元も病に倒れ、この世を去る。
西軍の宗全、東軍の勝元――。
戦乱を支えた両雄は、同じ年に相次いで世を去った。
京の町ではこう囁かれた。
「大将が亡くなれば、この戦も終わるのではないか」
だが現実は甘くなかった。彼らの死後も、両軍の兵は惰性のように戦い続けた。
勝元の跡を継いだ細川政元は若く、老獪な宗全の後継者たちもまた指導力を欠いていた。指揮官の才覚なきまま、戦はさらに形骸化していく。
もはや誰も、戦の意味を語れなかった。
戦いは、人の意思を超え、ただ「続くこと」そのものが目的となっていた。

第六章:終わらぬ戦、そして和睦へ
文明五年(1473年)。
東西両軍の総大将――細川勝元と山名宗全が相次いで世を去った。
この二人の死は、戦乱に大きな転機をもたらすはずであった。だが、現実は違った。
指導者を失った両陣営は、戦を終わらせる機会を掴み損ねた。
残された武将たちは互いに警戒し合い、誰も刃を収めようとしなかった。戦場では、もはや勝敗を決するためではなく、「自らの所領を守るため」「敵に弱みを見せぬため」に戦いが続けられた。
京の町は、すでに廃墟と化していた。
数年前に栄華を誇った公家屋敷も焼け落ち、往来には人影すらまばら。戦場に近い地域では、かろうじて残った家々の壁に矢が突き刺さり、夜になれば火の手があがるのが常となった。
町人たちはこう嘆いた。
「これは将軍のための戦でも、大名のための戦でもない。ただ、我らを苦しめるだけの戦だ」
そして文明九年(1477年)。
戦乱は、誰もが望まぬまま、ようやく幕を閉じる。
両軍の武将たちは次第に和解の道を探り始め、互いに講和を結ぶこととなった。勝者も敗者もいない、ただ「戦えぬほど疲れ果てた」末の和睦であった。
十一年にわたる応仁の乱は、こうして事実上の終結を迎える。
だがその代償はあまりに大きかった。幕府の権威は地に落ち、将軍家はもはや諸大名を統率する力を失った。戦の混乱で蓄えを失った守護たちは、家臣に頼らざるを得なくなり、やがて下剋上の時代――戦国乱世への道が開かれていく。
「応仁の乱」――。
それは勝者なき戦いであった。
ただ京を焼き、民を苦しめ、幕府を衰退させたのみ。
だが、この虚無の戦こそが、次なる時代の扉を開いたのである。

終章:戦国の夜明け
十一年にわたり続いた応仁の乱は、文明九年(1477年)、ようやく幕を閉じた。
だが、そこに勝者の姿はなかった。
焼け落ちた京の町には、瓦礫と灰だけが残された。
戦の始まりに高らかに掲げられた「将軍家の継承」も、「義視と義尚の正統」も、とうに意味を失っていた。ただ虚しく、人と家と命が失われた十一年であった。
しかし、この虚無の果てから、新たなる時代が芽吹き始める。
幕府の威信は失われ、もはや将軍は諸国を束ねる力を持たない。
力を得たのは、戦乱のなかで己の才覚を示した武士たちだった。
主を裏切り、あるいは主家を倒してのし上がる――「下剋上」が常態となり、守護の地位は次第に空洞化する。
地方では土豪や国人が力を蓄え、やがて「戦国大名」と呼ばれる新たな支配者たちが頭角を現していく。
応仁の乱は、終わりなき混乱の始まりであった。
血と炎に覆われた十一年の戦は、日本を「戦国の世」へと突き落としたのだ。
京の廃墟に立ち尽くした人々は、遠い未来を想う余裕すらなかった。
だが歴史の眼から見れば、この戦いこそが時代の境界線であった。
室町の夢は潰え、戦国の嵐が、今まさに吹き始めていたのである。
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