読書:名著「普通がいい」という病【泉谷閑示】

啓発

今回のブログでは、精神科医の泉谷閑示先生が提唱する「普通がいい」という考え方の病について深掘りしていきます。私たちはそれぞれ独自の「角」、つまり個性を持ってこの世に生まれてきますが、時としてその個性は周りからの注目を集め、ときには批判やからかいの対象となることもあります。

例えば、メイド服を好んで着ることを選んだ人がいたとします。その選択は目立ち、周囲からは「変わっている」と評されることがあります。しかし、そうした個性が原因で自分自身を「おかしい」と感じ、周りに合わせるために無理をして「普通」を演じるようになることも少なくありません。

このプロセスは、最終的に自分らしさを失い、精神的なストレスを引き起こすことにつながりかねません。このブログでは、なぜ私たちが「普通がいい」と思い込むのか、そしてそれがどのようにして精神的な健康問題を引き起こすのかについて、泉谷閑示先生の見解をみていきましょう。

「普通がいい」という病 (講談社現代新書) [ 泉谷 閑示 ]

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普通とは

私たちの社会では、「普通」であることが良いという信念が根強く存在しています。しかし、「普通」とは何かを深く掘り下げる前に、まずはその定義から考えてみましょう。一般的に、「普通」とは広く受け入れられている標準や多数に該当する状態を指します。例えば、職業においてはサラリーマンが「普通」とされ、YouTuberやプロゲーマーは「普通ではない」と捉えられがちです。これは、後者が比較的新しく、まだ広く一般に受け入れられていないからです。

しかし、ここで重要なのは「普通」であるかどうかに良し悪しがあるわけではないということです。人はそれぞれ独自の個性や興味を持っており、自分にとって意味のある仕事や趣味に従事するべきです。例えば、服装に関しても、多くの人がどのような服を着ていようと、自分が好きなスタイルを楽しむことが大切です。

にもかかわらず、多数派に属さない少数派の人々が「浮いている」とか「変わり者」として排除されがちです。これは、「普通」が良いという誤解から生じる偏見です。このような考え方は、いじめの根本的な原因ともなります。多数派から逸脱することが理由で、個性を持つ少数派が排除されようとするのです。

結局のところ、私たちが「普通」に価値を置き過ぎることは、多様性の欠如につながりかねません。人々が自分の個性や興味を追求することを尊重し、受け入れることが、より豊かで多様性のある社会を築く鍵です。

普通であることという心理状態

多くの人が「普通であること」を理想として追い求める心理状態になっています。まず、「普通」という概念は、広く一般的であり、大多数に当てはまる事柄を指します。つまり、普通であることは、多数派に属することを意味し、それに反する行動や選択は少数派と見なされます。

例えば、職業においてサラリーマンは普通とされる一方で、YouTuberやプロゲーマーは普通ではないとされることがあります。

しかし、重要なのは「普通」であることに良し悪しを付けることではなく、自分にとっての真実を追求することです。自分が心から好むこと、たとえそれがメイド服を着ることであったとしても、その選択を尊重することが大切です。

にもかかわらず、多くの人は少数派の人々を異端と見なし、排除しようとする傾向があります。これは、「普通であること」が良いという誤解から生じるものです。

この誤解は、人々が周りから浮かないように普通になろうとする心理を生み出します。個性を持って生きる人々も、繰り返し「浮いている」「変わり者」とレッテルを貼られると、周囲から受け入れられるために自分の個性を隠し、普通であろうとします。例えば、メイド服を着ることをやめることがそれにあたります。しかし、これは自分らしく生きられなくなり、心の息苦しさやストレスの蓄積につながります。

子供たちは、好きなこと、やりたいことに直感的に従い、自分の心に素直に生きています。これが大人になると変わり、社会的な「普通」に合わせることに重きを置くようになります。これは、心ではなく、理性である頭で物事を考えるようになるためです。たとえ心から何かを強く望んでも、社会的な規範や「普通」であるべきという思い込みが心に制限をかけてしまいます。

このように、現代人は頭で考えることに重点を置きがちで、心の声に耳を傾けず、自分の本当の欲求や願望を無視することが多いです。心と体が理性の奴隷となり、自分のしたいことやりたいことをずっと無視し続けると、精神的な健康問題、例えばうつ病や適応障害につながることがあります。このプロセスを理解することは、自分らしさを大切にし、心の声に耳を傾ける生き方への第一歩となるでしょう。

心に従うという大切さ

うつ病を避け、自分らしく生きるためには、心に従って行動することが大切です。これは、自分の心が本当に望んでいることを、頭で考え過ぎずに素直に実行することを意味します。たとえそれが社会的に「普通」ではない選択であっても、メイド服を着て街を歩きたいのであれば、その願いに忠実に行動する勇気が大切です。アニメが好きであれば、その情熱を堂々と表現することが重要です。このように、自分の心の声に耳を傾け、それに従って行動することが、精神的な健康と満足感を維持する上で極めて重要です。

しかし、なぜ私たちは自分の心よりも頭で考えることに重点を置いてしまうのでしょうか?その根本的な原因は、幼い頃からの教育にあります。学校や家庭で、合理的な考え方や社会的に受け入れられる行動を重視する教育を受けてきたため、大人になるにつれて「心ではなく頭で考えなさい」というメッセージが強く刷り込まれてきました。例えば、給食で嫌いな食べ物が出たときに「好き嫌いせずに食べなさい」と言われる経験は、私たちが自分の感情や好みを抑圧し、社会的な期待に従うように促す一例です。

この結果、多くの人が心よりも頭を優先させるようになり、自分の本当の願望や感情を無視する傾向に陥ります。心に従わない生き方は、自分の内面との乖離を生み出し、精神的な不健康を引き起こす原因となり得ます。まるでスター・ウォーズのストームトルーパーのように、個性や感情を抑え込んで、無個性で命令に従う存在になってしまうのです。

不眠は、自分の心を無視した結果

不眠は、自分の心を無視した結果生じることがあります。心の中にあるやりたいことや、好きなことを行う機会がないと、人は満足感を得られず、その結果、眠りにつくことが難しくなるのです。日々の生活で、忙しさに追われる中で自分らしい時間を過ごせなかったり、心から楽しむことができなかったりすると、夜になってもその未練が心に残り、眠れなくなることがあります。これは、1日を取り戻そうとして夜更かしをしてしまう行動にも繋がります。本当に心から満足する日を過ごせた場合、心地よい疲れと共に安心して眠りにつくことができるでしょう。

不眠やうつ病は、自分の心の声を無視し、頭でばかり物事を考えることの代償とも言えます。心に従って生きることが、これらの問題を避けるための重要なステップになります。それには、自分の心が本当に望むことを見つけ出し、それに基づいて行動することが求められます。

また、ネガティブな感情に素直になることも、心に従う上で重要な部分です。怒りや嫉妬、嫌いなどの感情は、人間が自然に持つものであり、これらに素直になることで、その後に来るポジティブな感情をより深く感じることができます。ネガティブな感情を無視することなく、それに対処する方法を見つけることが、心の健康を保つためには不可欠です。例えば、イライラやモヤモヤをノートに書き出すことで、感情を有効に処理し、心を落ち着かせることができます。

このように、心に従って生きることは、自分の感情に正直であり、それを適切に表現し、処理することを含みます。ネガティブな感情を否定せず、それに素直になることで、心のバランスを取り戻し、より充実した生活を送ることができるでしょう。

普通は孤独を回避する方法ではない

孤独を避けるために「普通」を選び、自分の本当の姿を隠すことは、表面的には孤独感を回避する方法のように思えます。しかし、それは一時的な解決に過ぎず、本質的な孤独を解消するものではありません。私たちはそれぞれ独自の好みや価値観を持ち、その多様性が人間の本質です。メイド服を着ることが好きであれ、ラブライブのイベントに参加することが好きであれ、プロゲーマーやYouTuberとして活動することが好きであれ、それぞれが自分らしさを表現する方法です。

確かに、自分の個性を表現することで周りから離れるリスクはありますが、それによって得られるものも大きいです。自分らしく生きることで、同じ価値観を共有する人々との出会いがあり、それはより深い繋がりを生み出します。自分を偽って多数派に合わせることで得られる関係は、表面的であり、心の底からの満足感や充実感を得ることは難しいです。大勢の中にいても孤独を感じるのは、自分の本当の姿を隠しているからです。自分らしくない姿で人と関わると、自分の価値観や興味に本当に合う友人を見つけることができず、結果的に孤独感を深めることになります。

逆に、自分の個性を大切にし、それに基づいて生きる人は、自分の興味や価値観に合致する活動に没頭できるため、孤独が辛くなりません。さらに、自分と同じような価値観を持つ人々と出会いやすくなり、真の意味での友情を築くことができます。メイド服を着て歩く人が同じ趣味を持つ人と出会えるように、プロゲーマーは他のプロゲーマーと出会い、共通の興味を共有することができます。これらの関係は、表面的なものではなく、共通の価値観に基づいた深い絆を持つことができるため、真の友情へと発展する可能性が高いのです。

したがって、孤独を避けるために自分を偽ることは、長期的には孤独感を増大させる可能性があります。本当に価値のある人間関係を築くためには、自分らしさを大切にし、それを表現する勇気が必要です。それによって、自分の価値観や興味に合った人々との出会いがあり、より充実した人生を送ることができるでしょう。

我慢して生きることによる歪み

我慢して生きている人が自分らしく生きている人を叩く現象は、実際に社会でよく見られます。自分の個性を隠し、本当にやりたいことをせずに「普通」を選んできた人は、しばしば自分の本当の願望とは異なる生活に鬱憤を感じています。普通とは、多くの人が選ぶ安全で予測可能な道ですが、その選択が必ずしも個々人の内なる望みや情熱と一致するわけではありません。

例えば、サラリーマンとしての生活は多くの人にとって普通の選択かもしれませんが、それが全ての人にとって最適な選択であるとは限りません。毎朝の通勤やスーツを着ることが、一部の人にとっては大きな負担であり、自分の理想とは異なる生活を送っていることでストレスを感じているかもしれません。

このように日々の生活において自分の望む生き方を抑制している人々は、自分らしく生きる勇気を持っている少数派の人々に対して、無意識のうちに反発や嫉妬を感じることがあります。この感情は、ゴシップやSNS上での無根拠な批判や攻撃という形で表れることがあります。自分が抱えるフラストレーションのはけ口として、他者を叩くことで一時的に自分の感じる劣等感や不満を紛らわせるのです。

しかし、本当に自分自身の人生に満足している人は、他人を無意味に批判したり、叩いたりする必要を感じません。自分の人生に充実感や満足感を持っている人は、他人の成功や幸福を素直に祝福することができます。他人を叩く行動は、自分自身が本当にやりたいことを見つけていない、またはそれを実現できていないサインであることが多いです。自分らしく生きることの重要性は、自分自身が幸せであるだけでなく、他人に対する態度にも良い影響を与えるという点にもあります。自分らしく生きる勇気を持つことで、よりポジティブな社会を築く一歩となるのです。

まず自分を満たすことの大切さ

想像してみてください。あなたがバナナを5本持っていて、通常3本食べると満腹になります。しかし、お腹を空かせた友達が現れたとき、自分の満足を犠牲にして2本だけ食べ、残りの3本を友達にあげることにしました。もし友達がバナナを受け取らず、感謝の言葉もなく地面に捨ててしまったら、あなたは怒りを感じるでしょう。なぜなら、あなたは自分の満足を犠牲にしているのに、その努力が報われなかったからです。

一方で、もし最初から自分が3本のバナナを食べて満足していた後に、余った2本を友達にあげて、同じように友達がバナナを受け取らずに捨てたとしても、あなたはそれほど怒りを感じないでしょう。なぜなら、あなたはすでに満足しており、余ったものを提供しただけだからです。

この話から学べる教訓は、自分自身が内面から満たされていないと、他人に何かを提供しても、その行為が報われなかった時に不満や怒りを感じやすくなります。つまり、自分の幸福感や満足感が不足している状態では、他人を幸せにすることは難しいのです。見返りを期待せずに他人に喜びや幸福を提供するためには、まず自分が心の底から満たされ、幸せである必要があります。

したがって、他人を真に幸せにしたいと思うならば、まずは自分自身の心を満たすことが重要です。自分自身が幸せで満たされた状態であれば、他人に対する小さな行為でさえも、より大きな意味を持ち、相手にとっても真の幸福をもたらすことができるでしょう。自分の内面が満たされているときには、他人の反応に左右されることなく、純粋に他者の幸せを願うことができます。

まとめ

まとめとして、私たちは一人ひとりがユニークな個性を持ち、その多様性がこの世界を豊かにしています。多くの人が追い求める「普通」という概念は、安心感や帰属意識をもたらす一方で、自分らしさを抑え込むことにもなりかねません。現代社会では、理性だけで物事を判断し、心の声を聞かない生き方が一般的になっています。しかし、本当の幸せや満足感を得るためには、自分の内なる声に耳を傾け、それに従って行動することが重要です。

不眠やうつ病などの精神的な問題は、自分の心を無視し続けた結果として現れることがあります。喜びや楽しみだけでなく、怒りや悲しみといったネガティブな感情も大切にし、それらを適切に表現することが心の健康につながります。また、我慢して生きることで生じるフラストレーションは、しばしば他人への批判や攻撃につながりますが、真の幸福は自分自身が満たされている状態から始まります。

今回のブログで、心に従って生きる大切さを再確認できたことでしょう。日々の生活の中で、仕事や義務に追われることもあるかもしれませんが、それ以外の時間は自分の心が本当に求めることに耳を傾け、それに基づいて行動することが、心の健康と幸福に繋がります。最終的に、自分が満たされているときに初めて、他人も真に幸せにすることができるのです。

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