【名著】道徳感情論|アダム・スミス 経済学の父が語る、本当に賢い生き方とは?

哲学

アダムスミス、この名前を聞いて何を思い浮かべますか?経済学の父、又は「神の見えざる手」という言葉の生みの親、というイメージが先行するかもしれません。しかし、彼の深い哲学的洞察と、人々が真の幸福を追求するための指南となる名著「道徳感情論」をご存知でしょうか?この作品は、現代の私たちが抱える自信の喪失や、自分の価値観を見失いがちな日常に、新たな視点とヒントを投げかけてくれます。

特に、自らを他者と比較してしまう方、努力の割には幸福を感じられない方、自分の中心を見失ってしまっている方…この名著は、そんな皆さんにこそ読んで頂きたい一冊です。

驚くべきことに、スミスが経済学者として知られる前、彼は道徳を主軸とする哲学者でした。そして、その哲学的背景がどのようにして彼の経済学へと繋がったのか、その物語を今回のブログで綴りたいと思います。

道徳感情論 (講談社学術文庫) [ アダム・スミス ]

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アダムスミスの生涯

アダムスミスは、1723年、スコットランド東部の港町で生まれました。彼の父は彼が生まれる前に亡くなり、スミスは母によって一人で育てられました。14歳で彼はグラスゴー大学に進学し、そこで偉大な哲学者フランシス・ハチソンと出会いました。ハチソンは、18世紀から19世紀初頭のスコットランド啓蒙の中心人物であり、人間の「道徳感覚」が社会の秩序を形成するとの考えを持っていました。

スミスは、ハチソンの影響を受けながら、別の偉大な哲学者、デイビッド・ヒュームとも深い交流を持ちました。ヒュームは、情念が行為を動かす主要な要因であると主張していました。スミスも、理性だけを絶対視する考えには批判的で、ヒュームの思想がその源泉であると言われています。

スミスは、これらの哲学者との交流を背景に、自らの道徳哲学を構築していきました。彼は36歳で「道徳感情論」を、53歳で「国富論」を発表しました。彼の生涯において出版された主要な著作は、この2冊のみです。実際、他にもいくつかの原稿が存在していたものの、スミス自身が出版に適さないと判断して焼却してしまいました。

彼の時代、ヨーロッパでは技術革命が進行中であり、経済の急速な発展が見られました。しかし、その恩恵は一部の階層だけが受けており、多くの人々は格差や貧困に苦しんでいました。スミスは、ただ経済的に豊かになるだけでは真の繁栄や秩序は実現しないと考え、人間の内側にある「何か」がその鍵であるとの考えを「道徳感情論」で表現しました。そして、彼が亡くなる年、1790年に最後の版が発行され、この時に「国富論」が「道徳感情論」の構想の一部であったことが明らかにされました。

このように、アダムスミスの人生と思考は、彼の時代の背景や同時代の偉大な哲学者たちとの交流を通して理解することができます。

共感する力の限界

アダムスミスの著作「道徳感情論」について、彼が強調する重要なテーマの一つが「共感する力の限界」です。以下に、その内容を簡単に理解できるように詳しく説明します。

人間は自分の感情や思いを他人に理解してもらいたい、という強い願望を持っています。たとえば、私たちは誰かが苦しんでいる時、その痛みを自分のもののように感じることができます。また、喜びや興奮を友人と共有する時、その友人が同じように喜んでくれると嬉しくなります。しかし、その反対の反応を受け取ったとき、例えば興味を示されなかった時や理解されなかった時には、心が傷ついたり、寂しさを感じることもあります。

これは、人間が根本的に共感を求める存在であることを示しています。しかし、スミスは完全な共感、すなわち他人の感情を100%理解することは不可能であると指摘しています。例えば、友人が深い悲しみに打ちひしがれている時、私たちはその痛みを和らげたいと思うかもしれませんが、その感情の深さや複雑さを完全には理解できないかもしれません。

このような限界に直面すると、人間は二つの努力を始めます。一つ目は、相手の感情や立場を理解しようとする努力。二つ目は、自分の感情や考えを他人に伝え、理解してもらおうとする努力です。スミスは、この共感の限界とその努力が人間関係や社会の中でどのような役割を果たすのかを詳しく論じています。

結論として、アダムスミスは「完璧な共感」は存在しないと指摘していますが、人間は他人との関係の中で共感を求め、その過程でさまざまな感情や努力が生まれると説明しています。

人から愛され、賞賛される方法

アダムスミスの思想の中でも特に注目されるテーマが「人から愛され、賞賛される方法」です。このテーマについて、彼がどのように考えていたのかを詳しく解説します。

まず、人々は自分が他者から愛されたり、賞賛されたりすることを深く望んでいます。それを実現する方法は主に二つ存在します。第一の方法は、富や権力を追求すること。多くの人々は社会的な地位や物質的な富を得ることで、他者からの賞賛や注目を引くことができると考えます。対照的に、第二の方法は知恵を深め、徳を積むこと。この方法を選ぶ人々は少数派ですが、彼らは知恵や徳の真の価値を理解しており、それが真の満足感や内なる充実をもたらすと信じています。

しかし、実際のところ、多くの人々は前者の道、すなわち富や権力の追求に引き寄せられます。その理由として、富や権力を持つことで得られる社会的な評価や注目が、彼らの自尊心や自己評価を高めると感じるからです。しかし、この方法には落とし穴があります。一部の人々は富や権力を追求する過程で、法や道徳を無視し、不正や詐欺に手を染めることがあります。彼らは短期的な利益や評価を得ることができるかもしれませんが、長期的には内なる不満や罪悪感に苛まれることとなります。

スミスは、真の満足感や幸福は、他者からの一時的な賞賛や注目ではなく、自分自身の中の「中立な観察者」、すなわち良心や内なる声に従うことで得られると考えていました。他者からの評価や期待に流されず、自分自身の価値観や信念に基づいて行動することが、真の意味での「賢い生き方」であるとスミスは語っています。

最後に、他者の評価や期待から自由になることは容易ではありませんが、自分の内なる声を大切にし、真に大切なものを見極めることで、より満足感のある生き方ができるとスミスは示唆しています。

自分を過小評価しない生き方

アダムスミスが提唱する3つ目のテーマ、「自分を過小評価しない生き方」を探求していきます。

私たち多くの人は自由に生きること、つまり制約や束縛から解放されて人生を歩むことを望んでいます。しかし、アダムスミスによれば、これを実現するためのキーは、大多数の人々が陥る誘惑、特に「欲望の領域」に足を踏み入れないことであると述べています。

多くの人々が陥る誤った考え方として、成功した人や有名な人と自分とを比較することが挙げられます。この比較によって、自らの現状を劣っていると感じ、人生に対する満足感が失われてしまうことがあるのです。例として、物事を金銭でしか評価しない人や、社会的な地位や名声を追求する人が挙げられます。彼らはそれぞれの価値基準に縛られ、その結果として人生の幸福を見失う可能性があるとスミスは指摘しています。

逆に、心の平穏を保ち、日常の中の小さな楽しみを見つけることができる人々は、他者の評価や社会的な地位よりも、自分自身の満足感や喜びを大切にすることができます。スミスは、真の幸福は健康な体を持ち、経済的な困窮や心の罪悪感から解放されることにあると述べています。そのため、人々は物質的な富や名声を追求するよりも、自らの心の声を大切にし、人生の目的や意義を見つめ直す必要があると強調しています。

そして、スミスの考えは単に個人の幸福に留まらず、経済発展の真の目的もまた、全ての人々が幸福に生きることであると主張しています。彼の著書「国富論」は、経済の発展と道徳感情との関係を探求しており、真の豊かさや幸福を追求するための指南書として読まれています。

総じて、アダムスミスの思想は、物質的な富や社会的な地位を超えた、真の人間的な幸福を追求するための道しるべとして、現代にも非常に価値のあるものと言えるでしょう。

まとめ

私たちは日々の忙しさの中で、物質的な豊かさや一時的な成功に追われがちです。しかし、アダムスミスの言葉を胸に、真の幸福とは何かを見つめ直す時がきたのかもしれません。私たち一人ひとりが、心の平穏を求め、真に価値あるものを追い求める旅を続ける中で、彼の教えが光となり、道を照らしてくれることを願っています。皆さまの人生にとって、このブログが少しでも役立つ手助けとなれば幸いです。

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