実は貴方も偉人かも?!【本要約】失敗図鑑 すごい人ほど酷かった【大野正人】

啓発

今日は、大野正人さんの著作、”失敗図鑑”の魅力を深堀していきましょう。

よく「成功者は生まれつきの才能で、まるでスムーズに成功を手に入れている」という誤った観念を持っている人がいます。

しかしながら、これは全くの誤解です。

多くの名高い成功者、例えばエジソン、ライト兄弟、スティーブジョブズなど、実際には私たちと同じように失敗を経験し、悩み、挫折感を味わいつつも、自分の人生と真摯に向き合い、その挑戦を続けてきました。

彼らの成功は、才能だけではなく、失敗をものともせずに粘り強く挑戦し続けた結果なのです。

だからこそ、これらの偉大な人物たちは天才であると同時に、一人の人間であることを理解することが重要です。今日この記事を読むことで、彼らの生き様から勇気と、失敗を乗り越えて成功へと至る道筋を学ぶことができるでしょう。

すごい人ほどダメだった!
読めば勇気がわいてくる、新しい心の教科書!!ぜひ手に取ってみてね!

アインシュタイン

私たちが最初に取り上げる人物は、みんなが知る名物理学者、アルバート・アインシュタインです。彼の有名な写真で舌を出しているあの人ですよね。音楽におけるサードと呼ばれる才能を持っていた、なんて言われていますが、それは実は半分誤解です。

アインシュタインが幼少期に見せた才能はそれほど顕著ではありませんでした。彼は3歳まで人とまともに会話することができず、なんと9歳になってもスムーズに喋ることができなかったのです。そのため、同級生からは「のろま」「ダメなやつ」と馬鹿にされ、学業の成績も平均以下でした。数学だけは得意だったものの、他の教科は苦手で、そのため学校では出来の悪い生徒と思われていました。

アインシュタイン自身が「私の学習を妨げた者はたった一つ、教育である」と語ったように、伝統的な学校教育が彼の学習を妨げていたのかもしれません。学校では、数学も体育も社会も何でも平均以上にできる人が評価されますが、アインシュタインは数学だけが得意だったため、ダメな生徒と見られていたのです。

それでも彼は進学を目指し、1895年にチューリヒ工科大学に入学を試みました。しかし、それ以外の教科が全然できなかったため、テストの総合得点が足りず、受験に失敗しました。しかし、校長はアインシュタインの数学と物理の得点がトップだったことに気付き、彼に特別な機会を与え、翌年にアインシュタインを入学させました。

大学生活の中でも、彼は物理と数学にのみ熱中し、他の授業にはほとんど出席せず、実験中に爆発事故を起こしたり、教師に反抗したりと、問題児としての日々を送りました。その結果、卒業後、彼は教授から嫌われ、就職先を紹介してもらえず、一時期は無職の時期を経験しました。

友人の紹介で特

許事務所の職を得た彼は、昼間は働き、夜は研究に没頭し続けました。そして、26歳の時に彼の努力は実を結び、光量子仮説、ブラウン運動、相対性理論の3つの論文を発表し、これがきっかけとなり彼は世界的な科学者としての成功を手に入れました。

アインシュタインから学べることは、得意なことを極め続け、それに全力を注ぐことが、一つの専門分野でプロとなる道であるということです。苦手なことを捨てるのではなく、得意なことをより深く追求し続けることが、彼の成功の鍵だったのでしょう。

あなたのスキをブログで書いてみませんか?

ジョブズ・ジョブズ

次に私たちが注目するのは、アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズです。彼のこだわりは有名で、完璧主義者として知られています。製品が100点満点でなければリリースしないという信念をもとに、彼は技術者たちに対して厳しい要求を突きつけ、気に入る形になるまで何度も修正を求めました。

また、ジョブズは製品が自分の理想に合わない場合、それを「くだらない」などと容赦なく批判し、価値観が合わない社員を容易く解雇するといった行為で、時にはパワハラとも取れる言動が目立ちました。彼のこのような行動は、初めのうちは業績が上がっていたため許されていましたが、やがてアップルの商品が売れなくなると、会社側はジョブズの行動を問題視し始めました。

そして、1985年にジョブズは自分が創設した会社から追放されました。彼自身、これを「強烈なパンチを食らったような感覚」と表現しています。しかしこれにより彼のキャリアが終わることはなく、アップルを追放された後、彼は新たなパソコン会社NEXTを設立し、さらにはアニメーション会社ピクサーを買収しました。そして、ピクサーで製作した映画『トイ・ストーリー』が大ヒットし、彼はディズニーからピクサーを買い取るオファーを受け、大成功を収めました。

一方で、ジョブズを追放したアップルは売上げが下がり続け、倒産の危機に瀕していました。その結果、アップルの経営陣はジョブズの創設したNEXTを買収し、ジョブズを再びアップルの経営陣に戻す決断を下しました。

アップルに戻ったジョブズは製品の7割を削減するなどしてアップルを再編し、iMacやiPod、iPhoneという大ヒット商品を生み出して世界を変えました。しかし、2003年に膵臓がんが見つかり、手術を9ヶ月も拒否した結果、病状が悪化し、56歳の若さで亡くなりました。

ジョブズから学べることは彼がアップルを追放された後に直ちに新しい会社を立ち上げ、過去に引きずられずに前に進んでいったことです。彼の前向きな姿勢からは多くを学ぶことができますが、一方で、医療に関しては自己判断に頼らず、専門家の意見をきちんと尊重することの大切さも、彼の人生から学ぶべき重要な教訓でしょう。

これからはA Iの時代!!
時代に時代に置いて行かれないよう、IT知識を高めよう!

ベートーヴェン

今度は音楽の世界から、有名な作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの話をしましょう。彼はあの有名な「運命交響曲」の作曲者ですよね。ベートーヴェンの人生は苦難に満ちていました。

彼は音楽一家に生まれ、幼い頃から音楽の才能を発揮し、スパルタ教育を受けました。しかし、彼の父親はアルコール依存症で、家庭内暴力が常習化しており、また二人の弟がいたため、ベートーヴェンは8歳からピアノ演奏家として家計を支える責任を負いました。

しかし、音楽への才能と厳しい訓練により、彼は若くしてピアノ演奏家としての評価を得、その名を広めました。しかし、28歳の頃、彼は自身の聴力が徐々に衰えていくことに気付きました。音楽家にとって、聴力喪失は致命的な問題であり、彼にとっては大変なショックでした。

その後、彼は他人に聴力障害がバレないようにと家に引きこもるようになりました。さらに悩むこととなったのは、彼が恋した多くの女性から振られ続けたことでした。彼の絶望感は深まり、31歳の時には遺書を残して自殺を図るまでに至りました。

しかし、彼は自身の悲劇を逆手に取り、演奏から作曲へと転じることを決意しました。彼は自分が作曲をできなくなったら何もないと考え、そのために作曲だけは続ける決意をしました。聴力が衰えていく中でも、彼はピアノの音の振動を感じ取りながら、自身の作曲を続けました。

そして、驚くべきことに、彼の聴力が衰えていくにつれて、彼の作品はより深みを増し、名曲が生まれるようになりました。しかし、40歳頃には彼の聴力は完全に失われ、体調も悪化しました。それでも彼は作曲を続け、56歳でこの世を去るまで、ベッドに寝たきり

の状態で曲を作り続けました。

ベートーヴェンから学べることは、どんなに生活が苦しくても、一つのことに没頭することで現実を忘れられ、それが自身を救う力となることです。ベートーヴェンは辛い人生を歩んだものの、それが彼の音楽の深さとなり、結果として彼は世界で最も素晴らしい作曲家の一人となりました。

いくつになっても音楽ができるってすごい!!
貴方も音楽やってみませんか?

ライト兄弟

次に取り上げるのは、人類で初めて飛行機を飛ばすことに成功したライト兄弟です。もともと彼らは自転車屋を経営していましたが、ある日を境に全てを飛行機の研究に注ぐことを決めました。

1903年、彼らの日々の研究が実を結び、世界初の有人動力飛行に成功しました。しかし、これが彼らの苦難の始まりでした。飛行機が飛んだことを証明するためには証拠が必要でしたが、そのための特許取得は時間と労力がかかりました。その間にも、彼らの技術を真似た飛行機が次々と生まれ、ライト兄弟は裁判で忙殺されました。

ここからは、彼らの人生は裁判との闘いが続きました。その間に他の競合は飛行機を改良し、ライト兄弟の技術はやがて時代遅れになってしまいました。そして45歳で兄が亡くなり、その3年後に弟も飛行機作りを止め、飛行機の世界から姿を消しました。

結果として、ライト兄弟は飛行機を最初に作ったにもかかわらず、その功績は正当に評価されず、また裕福にもなれませんでした。飛行機の研究と裁判に日々を消費し、彼らは一度も結婚することなく一生を終えました。

ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばしたことを認められたのは、初飛行から40年も後のことでした。つまり、彼らは一生を裁判と闘い、その間に他の機会を逃してしまいました。

ライト兄弟から学べることは、一つの成功に固執しすぎることの危険性と、裁判に時間を取られすぎてしまうことのリスクです。これは、2ちゃんねるのひろゆきさんが示しているような、一つの事業に固執せず、次に進む姿勢の重要性を示しています。他人に真似されても構わないという柔軟な心持ちと、変化を恐れずに新たな挑戦をし続けることが重要なのです。

新しい挑戦してみませんか?
スキルをつけるなら!ストアカ!

夏目漱石

最後に紹介するのは、夏目漱石です。夏目漱石と言えば名高い作家というイメージが強いでしょう。しかし、彼はもともと英語の教師をしていました。

ある日、夏目漱石は国からイギリスのロンドンへ英語の学習に出向くよう求められました。漱石は長旅の果てにロンドンに到着しましたが、自身の英語が全く通じないという経験をしました。

ロンドンでの生活は思うように進まず、英語の壁と、イギリス人からの視線により、夏目漱石は精神的に病んでしまいました。結果として、彼は自室から一歩も出ることができなくなってしまいました。

日本に戻された漱石は、精神的にまいっていました。友人からの提案で、気分転換に小説を書くことを試みたところ、その結果が「我輩は猫である」となりました。

そして、次々と名作を発表し、漱石は人気作家になりました。夏目漱石から学べることは、自分の弱点を克服し、またそれを生かすことのできる仕事を見つけ出せた点です。

夏目漱石はもともと深く物事を考え込む繊細な性格でしたが、これが人間の心理を描写する小説家としての才能につながりました。つまり、彼は自分自身の内在する特性を生かす仕事を見つけ出すことができたのです。

今日では、食べ過ぎが特技の大食い芸人や、ゲーム好きがプロゲーマーになるなど、自分の特性を生かすことが求められています。夏目漱石のように、自身のマイナスに思える部分をプラスに転換させる工夫が重要なのです。

自分で物語を書きませんか?
ブログのドメインなら!お名前.com

以上が、今回私たちが学んだ教訓のまとめです。

  1. あなたの苦手なことを捨てて、得意なことに専念しましょう。
  2. 未練を捨てて、新しい道へ進みましょう。
  3. 重要な問題が発生したら、先延ばしにせず直ちに対応しましょう。たとえば、がんなどの病気が見つかったら、すぐに治療に専念します。
  4. 一つのことに没頭すると、現実の苦しみを忘れることができます。
  5. 一つの成功に固執せず、多角的に物事を見ることが重要です。
  6. あなたの作ったものが他人に真似されても、気にせず前進しましょう。
  7. 自分の弱点や欠点を活かす仕事を見つけることが、真の成功につながります。

成功者や偉人たちも、私たちと同じように悩み、苦しんで生きてきました。しかも、彼らは一般人よりもはるかに多くの失敗を経験しています。それこそが、彼らが成功者となる道筋だったのかもしれません。

失敗は、私たちが成長する機会を与えてくれます。それは「今のままではダメだ」というサインであり、どうすればうまくいくのかを考えるきっかけになります。逆に、失敗しなければ、人間は何も変えることなく、また真剣に考えることもなくなってしまいます。

このブログを読んでくださった皆様、一緒に新たな視点で考え、新しい挑戦をすることで、自分たちも成功者の一人となれるよう努力していきましょう。それでは、今回のブログはこれで終わりです。次回もお楽しみに!

コメント

タイトルとURLをコピーしました