人は絶望するとどうなるのか。【本要約】夜と霧

哲学

夜と霧【ヴィクトール・E・フランクル】

今回は、精神科医であるヴィクトール・E・フランクル先生が書かれた、発行部数900万部以上の名著『夜と霧』を解説していきます。この本は、一言で言えば、絶望と向き合う方法を教えてくれるものです。人間は誰しも、生きていれば病気になったり、事故にあったり、自分の能力や才能と向き合って絶望したりする瞬間が来るものです。悩みは尽きませんが、フランクル先生はこの動画を見ている誰よりも絶望的な状況に追い込まれた人でした。なぜなら、ユダヤ人というだけで捕まり、強制収容所に送られることになったからです。

強制収容所とは、ヒトラー率いるナチスドイツが数百万人というユダヤ人をガス室に閉じ込めて虐殺を続けた恐ろしい施設でした。フランクル先生がアウシュビッツに着くと、すぐに男性を二手に分けていました。彼らは生かすか殺すかを決めていたのです。ここで90%の人が労働力として価値がなさそうだという理由で殺され、残りの10%は労働者として使えそうだという理由で生かされました。フランクル先生は何とかその10%に入ったため生き延びることができましたが、生き残らない方が楽だったかもしれません。なぜなら、その収容所では毎日酷寒の中で一日中重い肉体労働を強いられ、まともな食事も与えられず、暴力を振るわれ、死体がそこらじゅうに転がっている最悪な環境だったからです。もし「もう働けそうにない」と判断されると、すぐにガス室に連れて行かれて殺される運命でした。

そんな過酷な環境で生き残ることができたフランクル先生が、その収容所での生活を記したのがこの本『夜と霧』です。では早速みていきましょう!

人は限界が近づくと無感情になる

まず、一つ目のポイントは、人は限界が近づくと無感情になることです。フランクル先生が強制収容所に入った当初、彼は1日中、極寒の中での過酷な肉体労働、暴力、そしていつ殺されるか分からない恐怖によって、苦しみや悲しみといった感情に支配されていました。しかし、次第に彼の感情は消えてしまいました。これは、自己防衛のために感情を完全に消し去り、心を麻痺させることで自分の心を守っている状態です。

このような状況になると、人は異常な事象が起こっていても何も思わなくなります。暴力を受けたり、死体が散乱していたりしても、どうでもよくなるのです。例えば、繰り返し虐待を受けた子どもや、ブラック企業に勤めている社員も、限界が近づくと無感情になりやすく、心が麻痺してきます。そうなると、異常な労働時間やパワハラ、休みがなくても何も思わなくなってしまうのです。

ただし、無感情になって自分の心を守っていても、それは一時的に心を麻痺させている状態であり、辛い状況が続けば身体も精神も徐々に衰えていきます。そして最終的には希望も失い、死んでいくのです。無感情は限界のサインなのです。

ですから、もし自分が過酷な環境に耐えていて無感情になっているのであれば、それは非常に危険な状態です。もし可能であれば、今の辛い場所から離れた方が良いでしょう。

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限界の心を癒す方法

次に、限界の心を癒す方法として、ユーモアが効果的であることを紹介します。過酷な状況でも、人間の心を忘れない方法があります。それは、自然や芸術、笑いに触れることです。ある時、昼休みに囚人の一人が樽の上に立ってオペラを歌い始めました。その歌を聞くことで、多くの収容者たちの心が癒されました。歌を聞くだけで心が和らぎます。

また、収容者たちはできる限り冗談を言い合い、互いを笑わせ合うようになりました。笑うだけで心が救われるのです。さらに、ある時は美しい夕日が沈むのをじっと眺めて心を和ませました。このような環境では、笑いや音楽が必要なさそうですが、実際にはそれらが一番大切なものでした。

例えば、仕事で本当に辛くなったときに、YouTubeで松本人志や漫才などのコント動画を見て笑いたい時があるでしょう。これは、疲れ切った心を癒すための防衛手段です。辛い時や悲しい時は、笑いや自然、芸術こそが生きるエネルギーになります。ちなみに、フランクルはこれらの経験から、自分が寿命で亡くなる瞬間まで、良質な冗談を言って家族を笑わせ続けたそうです。

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生き残るために長期的な希望を持ち続ける

次に、生き残るために長期的な希望を持ち続けることの重要性を説明します。やがてフランクルは、生きることを放棄する人たちを目にするようになりました。朝になってもベッドから起き上がれなくなった人や、食料と交換できる貴重なたばこを無駄に使ってしまう人などです。こうした自暴自棄になった人たちは、最終的に全員亡くなってしまいました。

では、どのような人たちが生き残れたのでしょうか。それは、長期的に未来に希望を持ち続けることができた人たちです。単に短期的な目標を持つだけでは十分ではありません。常に希望を持ち続けることが大切です。実際に、収容者たちの間でクリスマスに解放されるという噂が流れました。そのため、多くの人がクリスマスまで頑張ろうと期待していました。しかし、実際にはクリスマスが来ても誰も解放されませんでした。その結果、クリスマスに解放されることを期待していた人たちは絶望し、次々と自殺してしまいました。

このように、期限付きの期待や頑張りは失敗した時に絶望に変わります。逆に、生き残れた人たちは長期的な希望を持ち続けられました。それは、「クリスマスまで」という期限付きの期待ではなく、「いつか助けが来るだろう」と考えていた人たちです。確かな根拠はありませんでしたが、それでも未来が絶対に良くなると信じていた人たちだけが生き残りました。

例えば、今年の受験まで勉強を頑張れば人生が変わると信じて勉強する人がいますが、受験に失敗した場合、立ち上がれないほどの絶望を感じるでしょう。自分はダメな人間だと思い込んで引きこもるかもしれません。しかし、受験がダメでも何とかなるだろうと楽観的に未来を考えることが大切です。そうすれば、失敗した時に絶望せずに済みます。

辛い時に自分を待っている存在を思い出す

辛い時に自分を待っている存在を思い出すことが重要です。ある晩、フランクル先生のところに2人の男が訪れ、もう生きていくことに期待が持てず、死のうと考えていると言いました。そこでフランクルは、「あなたたちには待っている何かがあるはずです。それが何かを考えてください」と言って、彼らを引き止めました。これはこの本のメインテーマの一つです。

一人の男は、外国に子どもがおり、愛する子どもが自分を待っていることを思い出しました。もう一人の男は、あるテーマで本を書いていて、その本がまだ完成していないことを思い出しました。どんなに絶望していても、人生には自分を支えてくれる人や愛している仕事があるはずです。それは子供かもしれないし、仕事かもしれない、趣味やペット、ファン、友人など、人それぞれ違いますが、必ず自分を待っている何かがあるはずです。

自分を待っている人がいることを自覚した人は、生きることを諦めなくなります。なぜなら、その人たちは永遠にあなたを待ち続けているからです。ずっと、ずーっと、ずーっとその人たちはあなたを待っています。自分を待っている人がいるとわかると、どんなに苦しい時でも投げ出すことができません。

逆に言えば、自ら命を絶つ人は、自分のことを誰も待っていないと思っているので、自分がなぜ存在しているかが分からなくなります。あなたには自分を待っている何かがあるでしょうか。それは母親や友達、あるいはゲームかもしれません。辛い時は一旦冷静になって、人生のどこかに自分を待っている存在があることを思い出しましょう。誰にでも自分を待っている存在はあるのです。その存在を思い出せば、希望を持ち続けることができます。

私たちは人生に問われているという考え方

次に、私たちは人生に問われているという考え方についてです。生きていれば、病気になったり、事故に遭ったり、自分の能力や才能に直面して絶望したり、自分の容姿に自信を失って絶望する瞬間が誰にでもあります。著者も収容所で家畜以下の扱いを受けている生きているような死んでいるような不確かな毎日の中で、「この人生に何の意味があるんだろう」と思いたくなることもあるでしょう。

しかし、フランクルは全く違う考え方をしていました。彼は、人生に意味を問うのではなく、私たちが人生から問われていると考えていたのです。つまり、人生が自分に対して「お前はどうするの?」と言ってきているので、私たちができることは、その人生からの質問に対して行動で応え続けることだけだと言っていました。

実際、自分の人生に何の意味があるのかを考えても答えは出ません。しかし、人生が自分に「君はこの過酷な状況でどう行動する?」と質問していると考えると、物事が違った見方に変わります。フランクルはこう続けています。「どれだけ私たちが人生に絶望していたとしても、人生があなたに絶望することは決してない。」つまり、自分がどれだけ身長が低くて悩んでいたとしても、人生から見たらそんなことはどうでもいいことです。人生は淡々と「さて、この身長で君はどう切り抜けるの?」と問い続けているのです。

ある意味で、私たちは人生から試されているのです。嫌なことがあったとき、人生は「どうするの?」と質問しています。そして、私たちはその質問に対して行動で答えていくことが求められているのです。

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この苦しみが一体誰の何の役に立っているのかを考える

次に、この苦しみが一体誰の何の役に立っているのかを考えることです。誰もただ苦しいことを望んでいるわけではありません。しかし、もし苦しみが他人のためになるとしたら、どうでしょうか。例えば、クリエイターは素晴らしい絵や映画を作り、多くの人を喜ばせるために苦悩に耐えることができます。スポーツ選手は素晴らしいパフォーマンスで観客を喜ばせるために、厳しい練習に耐えることができます。

人は誰かのためならば、喜んで苦悩を乗り越えることができる生き物です。フランクルも収容所で苦しんでいる時に、この苦しみは何のためで誰の役に立つのかを考えていたそうです。そうすることで、彼はこの苦しみの意味を見つけようとしました。

フランクルは、暖かい部屋で講演をすることを想像しました。彼の前には多くの人がおり、収容所での経験を語る彼の言葉に耳を傾けていました。そう考えることで、彼は現在の苦しみが将来の調査のためのものであると捉えることができました。

そして、フランクルは苦悩を乗り越えた時、それが人生を豊かにする財産になると語っています。確かに、過去の辛い日々は思い出として大切になります。平凡な日常は記憶に残らないことが多いですが、部活や勉強で本気で苦悩した日々は後々大きな財産になっています。

だから、自分の苦しみが誰のためになるのかを考えてみることが大切です。次に、どんな状況でも自分の態度を選ぶことができるということです。この本には、収容所の中で人々が天使と悪魔に分かれていたと書かれています。過酷な生活の中で、他人の食べ物を盗んだり、死んだ人の持ち物を奪う人がいたのです。しかし、そういった過酷な状況下でも、自分自身も苦しいのに手を差し伸べて食べ物を分け与える人もいました。フランクルは、この二種類の人々を観察し、どんな状況であってもどのような態度をとるかは誰にも奪えない人間の最後の自由であると気づきました。

つまり、すべてを奪われてしまっても、どのような態度を取るかは自分で決めることができます。両親が離婚していようが、他人に馬鹿にされようが、貧しい家に生まれようが、どのような態度を取るかは自分で決めることができると言っているのです。

最後に、フランクルは収容所から2年半後に解放されました。その際、彼は妻や両親の死を知ることになります。そして、喜びや楽しみといった感情を取り戻すのに時間がかかったそうです。これは、うつ病になると休んでもなかなか元の心に戻らないのと同じことでしょう。しかし、徐々に回復していったフランクルは、想像していた通り多くの人に収容所での経験から学んだことを伝えるために講演を行い、92歳まで生きました。

このように、フランクルの考え方や経験は、私たちがどんな困難な状況に直面しても、自分の態度を選ぶ力や他人のために苦悩を乗り越えることの大切さを教えてくれます。それぞれの人生において、どのような態度を取るかは自分で決められることを忘れず、困難を乗り越えていく力を持ち続けましょう。

まとめ

この文章は、以下のような内容が含まれています。

  • 限界が近づいてくると、人は辛く感じるが、お笑いや自然などで心を癒すことができる。
  • 未来への希望を信じている人が生き残る。
  • 期限付きの希望や頑張りは続かない。
  • 辛いときは自分を待っている存在を思い出す。
  • 人生には質問される立場であり、自分がどうすべきかと問われていると考える。
  • この苦しみが誰のために役立っているのかを考えることが大切。
  • 過去の苦しみから逃げずに生き抜くと、それが自分の財産になる。
  • どんな状況においても、自分の態度を選ぶことができる。
  • 極限の状態では、利己的な考え方では生き残れないことがある。

これらの内容から、極限の状況においても希望を持ち、利他的な考え方をすることが大切であるというメッセージが伝わっています。また、自分の態度を選ぶことができることが、人間の最後の自由であることが示唆されています。

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