ラッセル『承認欲求に支配されて、自分のことしか考えないからお前らは不幸なんだよ』/不幸になる人の共通点

哲学

不幸の源泉:承認欲求の過剰

こんにちは、皆さん。今日は「承認欲求」というテーマについて考えてみましょう。承認欲求と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか?多くの人は、SNSで自撮りを投稿し、「いいね!」の数を楽しむ人々のことを思い浮かべるかもしれませんね。現代社会では、こうした行動が承認欲求の代名詞のように扱われ、しばしば否定的な意味合いを持って語られます。

しかし、承認欲求自体は誰もが持つ自然な感情です。例えば、自分の服装を褒められたい、話を聞いてほしい、自分の価値を認められたいといった欲求は、人間なら誰しもが感じるもの。SNSの普及により、これらの欲求がより顕著に表れるようになっただけのことです。

しかし、イギリスの哲学者であり数学者でもあるバートランド・ラッセルは、この承認欲求について興味深い見解を示しています。彼は言います、「承認欲求は、制御を超えたとき、人を不幸にするだけのものになる」と。つまり、自信の欠如が承認欲求を強め、それが過剰になると不幸の原因になるというのです。

ラッセルはまた、承認欲求が強い人には共通点があると指摘します。それは、幼少期に親や周囲から十分な評価を受けられなかった結果、その欲求が大人になっても続いているということです。

今回の記事では、ラッセルの見解をもとに、不幸になりがちな人々の特徴と、それに対する承認欲求の影響について掘り下げていきます。

バートランド・ラッセル:偉大な思想家の軌跡

バートランド・ラッセルは、1872年にイギリスで生まれた著名な哲学者で数学者です。彼の祖父、ジョン・ラッセルはイギリスの首相を務め、ラッセル家はイギリス貴族の名門でした。ラッセルはケンブリッジ大学で学び、数学と哲学の融合に関する研究、特に数理哲学に焦点を当てました。彼は「数学の原理」という画期的な著作を通じて、数学界で一躍有名になります。

ラッセルはその後、哲学の分野で顕著な業績を上げ、1950年にはノーベル文学賞を受賞しました。また、平和活動にも積極的に関わり、アインシュタインと共に、核兵器の禁止や科学技術の平和利用を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表しました。

しかし、ラッセルの人生は幸福に満ちたものではありませんでした。幼い頃に両親を失い、厳格な祖父母に育てられた彼は、極めて厳しい生活を強いられました。例えば、食事は非常に質素なもので、「美味しいものは子供には贅沢だ」という理由で簡素な食事を強いられたり、水風呂のみでの入浴や、夕方まで椅子に座ることが許されないなど、厳しい環境の中で育ちました。これらの経験は、ラッセルに深い影響を与え、若い頃には自殺願望を抱くほどでした。

成人後のラッセルは、第一次世界大戦の時代を生きました。戦争を支持するイギリス国民の意見とは対照的に、彼は戦争の非合理性を訴え、反戦活動を展開しました。これにより、当時務めていたケンブリッジ大学の教職を失い、さらには刑務所に投獄されるという経験もしました。

これらの困難な人生経験を背景に、ラッセルは「幸福」とは何か、また何が人を不幸にするのかというテーマに深く考えを巡らせました。58歳の時には、「幸福論」という著書を発表し、これは今日でも世界三大幸福論の一つとされ、現代にも影響を与え続けています。

ラッセルの不幸の考え方と人間のタイプ分け

バートランド・ラッセルは、人間の不幸について深い洞察を持っていました。彼はこのように述べています:「不幸の根本的な原因は、人々が自分自身のことしか考えないことにある。自己中心的な考え方が、外の世界への目を閉ざし、結果として不幸を引き起こすのだ」と。ラッセルは、不幸に陥りやすい人々を三つのタイプに分類して解説しています。

ラッセルが指摘する「罪人」タイプの人々

バートランド・ラッセルによれば、不幸に陥りやすい人々の中で、第一のタイプは「罪人」と呼ばれます。この「罪人」という言葉は、文字通りの犯罪者を指すのではなく、常に自己を非難し、自分の内部に厳格な道徳基準を持ち、それに従わないことを「罪」と捉える人々を指します。

例えば、自己否定的な思考、つまり「私はどれほど無能な人間なのだろう」「なぜこんなにつまらない人間なのか」といった考え方に陥ることがあります。現代的な表現で言えば、これらは自己肯定感が低い人々の特徴です。彼らは自分の理想と現実のギャップに苦しみ、日常的に自己非難を繰り返します。

ラッセルは、徳的な教えが無意識のうちに人々の心に深く根付き、突然現れることがあると言います。例えば、幼少期に親や教師、友達から「あなたは間違っている」「これはダメ、あれもダメ」と繰り返し言われることによって、心の奥深くにその言葉が刻まれ、その後もそれらの言葉に縛られるようになります。また、性的なことを抑圧された人が、大人になって異常な行動に出る例もあります。

ラッセルは、このような思い込みは、幼少期に正常な欲求の満足が奪われ、厳しい価値観が植え付けられた結果だと指摘します。例えば、幼い頃から「いい大学に行きなさい」「いい会社に入りなさい」「まともな人間になりなさい」といった理想を刷り込まれ、それに応えられないことを罪と感じ、それを守れない自分を「ダメな人間」と思い込むようになります。その結果、その理想に異常にこだわり、それに応えられない自分に対して深く落ち込むこともあります。

ラッセルの指摘する「ナルシスト」タイプの人々

バートランド・ラッセルによると、不幸に陥りやすい人々の第二のタイプは「ナルシスト」とされます。このタイプの人々は、他人からの承認や評価を極度に求める傾向があります。承認欲求自体は自然な感情ですが、過度になると不幸の原因となることがあります。

たとえば、ある漫画家がいたとします。彼は最初は純粋に漫画を愛し、自分の好きなスタイルで描いていました。しかし、次第に他者からの承認を重視するようになり、SNS上で人気のあるパンチラ(スカートの中を見せる描写)を描くようになります。このような描写が受け入れられ、ますますパンチラを求められるようになると、その漫画はパンチラがメインの内容になってしまい、彼が本来描きたかった漫画を描けなくなってしまいます。

このように、他人からの評価を目的としてしまうと、本来の目標や情熱が手段に過ぎなくなり、最終的には自分が真に望んでいたことを達成できなくなります。ラッセルは、「承認欲求に支配されたナルシストは、自分自身の行動を限定してしまう。その結果、自分自身の本当の目的を達成できなくなる」と述べています。

さらに、ラッセルはこのような承認欲求の根源には、自己に対する自信の欠如や、真の自己を表現することへの恐れがあると指摘しています。つまり、ナルシストは、他人からの承認を通じて自分自身の価値を確認しようとするが、その過程で本当の自己を見失ってしまうというわけです。

ラッセルの指摘する「誇大妄想狂」タイプの人々

バートランド・ラッセルは、不幸に陥りやすい人々の中で、第三のタイプとして「誇大妄想狂」を挙げています。このタイプの人々は、自分自身を過度に過信する傾向があります。

たとえば、仕事である程度の成功を収めた人が、「私は強い」「何でも成功させることができる」「私ほどの天才は他にいない」といったように、自分を過大評価することがあります。しかし、どんな人でも、自分よりも優れた人物といつかは出会います。自己過信が強ければ強いほど、手に入れられないものや、超えられない壁に出会ったときの挫折感は大きくなります。

つまり、自分の能力を過大に評価しすぎると、最終的には必ず超えられない壁にぶつかり、挫折するしかなくなるのです。ラッセルによれば、このような誇大妄想に陥ることは、結果的に人を不幸に導く要因となります

ラッセルが指摘する不幸の原因:幼少期の経験

バートランド・ラッセルは、不幸に陥りやすい人々――罪人、ナルシスト、誇大妄想狂――の共通点として、幼少期に正常な満足を奪われた経験があることを指摘しています。ラッセルによれば、幼少期に経験した欠乏感は、成人後の行動や価値観に深く影響を及ぼすとされます。

例えば、SNSで自撮りを頻繁に投稿する人々は、幼少期に「可愛い」と言われる経験が不足していた可能性があります。同様に、お金に執着する人々は、幼少期に貧困を経験したことが原因であることが考えられます。また、異性に対する執着を見せる人々は、幼少期に恋愛面での成功を得られなかった経験が影響している可能性があります。

ラッセルは、フランスの皇帝ナポレオンの例を挙げています。ナポレオンは、学生時代にクラスメイトの多くが貴族である中、自身の貧しい家庭背景に劣等感を感じていました。そして、その劣等感が彼の権力に対する執着を生み、結果としてイギリス軍に捕らえられ、島流しの運命を辿ることになりました。

ラッセルは、こうした一つの満足を得ることに固執することによって、他の多くのものを犠牲にしてしまう行動が、結果的に人を不幸に導くと考えています。

ラッセルによる不幸の原因:競争と妬み

バートランド・ラッセルは、不幸を生じさせる原因として「競争と妬み」を指摘しています。例えば、私たちは十分な収入があっても、周囲の人々が自分よりも良い家に住み、豪華な生活をしているのを見ると、すぐに「あの人はなんて贅沢なんだ。私はなんて貧しいんだ」と感じることがあります。このように、自分の生活が十分であっても、他人との比較により妬みや自己卑下の感情を抱きがちです。

これにより、他人よりも多くを稼ぎ、成功するための競争を始めることがあります。ラッセルは、「どれだけ儲けたかは、知性の尺度となっている。儲けた人は賢いと見なされ、そうでない人は賢くないとされる。そのため、人々は競争をやめられない」と述べています。

しかし、ラッセルは、他人よりも多く稼ぐことや成功することは幸福の一部分に過ぎないと指摘します。なぜなら、このような競争には終わりがなく、いくら成功しても常に自分より成功している人がいるからです。たとえ世界一になったとしても、歴史上の誰かがあなたより成功していたと気づくたびに、妬みを感じ、自分が不幸であると感じてしまうのです。

ラッセルが指摘する不幸の原因:他者に対する怯え

バートランド・ラッセルは、不幸を生じさせる原因の二つ目として「他者に対する怯え」を挙げています。これは、自分が周囲にどう思われているかに過度に囚われ、周囲からの承認がなければ不安を感じる状態を指します。

例えば、アイドルを目指している女性がいるとしましょう。彼女は、周りから「その見た目ではアイドルになるのは無理だ」「普通の会社員になるべきだ」と否定的な意見を受けることがあります。このような否定的な意見は、彼女の夢や自己評価に影響を与え、夢を諦めさせる可能性があります。また、他のアイドルが身体的な魅力を前面に出して成功しているのを見て、同じようにするべきかと不安になることもあるでしょう。

しかし、ラッセルはこう述べています:「周囲がどう思っているか、他の人がどうしているかは、あなたの夢には何の関係もない。自分がやりたいようにやり、ダメだったとしても、やり直せばいい。他人の意見に左右されず、自分が信じる道を突き進むべきだ」と。なぜなら、試してみてダメだった場合、そのときにまた考えることができるからです。ラッセルは、失敗したときに別のことに挑戦する時間はいくらでもあると述べています。

ラッセルの考える幸福への道:幅広い興味と熱中

バートランド・ラッセルは、幸福への鍵は幅広いものに興味を持ち、何かに熱中することだと考えていました。彼によると、不幸だと感じる人々の大半は、仕事や趣味などに熱中できるものを持っていないという特徴があります。これは、生きがいや目標を見つけられないことに起因しています。

たとえば、仕事が辛くても趣味に没頭している間は楽しく感じたり、家庭環境が辛いとしても仕事に集中している間はそれを忘れることができます。しかし、熱中できるものを見つけることは簡単ではありません。ラッセルは、まずは幅広いものに興味を持つことの重要性を説いています。

例えば、サッカーに熱中している人も、最初からサッカーに興味があったわけではなく、何度か試してみるうちにその面白さを理解し、次第に夢中になっていきます。つまり、最初から自然に興味を持つものなど存在せず、何かをやってみることでその良さを理解することができるのです。

ラッセル自身も、幼少期に自殺願望を持っていた時期に数学の研究に熱中することで、それを乗り越えてきました。また、様々なものに興味を持つことで、何かに失敗しても別の興味のあるものに挑戦することができます。より広い視野を持てば、自分の不安や悩みがいかに小さいものかを自覚できるとラッセルは述べています。

ラッセルは、「何事もバランスが重要である。熱中は大事だが、一つのものに熱中しすぎるとうまくいかない。仕事、趣味、家庭など、様々なもののバランスを取ることで、穏やかな幸せが訪れる」と語っています。

結論:自己中心的な視点を超えて

バートランド・ラッセルは、承認欲求が自己中心的な視点に由来し、それが私たちの行動を制限し、不幸へと導くと語りました。このような視点からは、「他人がより良い目に遭っている」「私はダメな人間だ」といった否定的な思考に陥りがちで、幸福から遠ざかる原因になります。

ラッセルは、この限られた自己中心的な視点を超え、自分以外のものに熱中することの重要性を強調していました。この考えを追求すると、不幸というものは、物事を「自分」という狭い世界でのみ考えることから生じるのかもしれません。

最後に、幸福は自分の心の在り方次第であるというラッセルの言葉を思い出しながら、私たち一人一人が幸せを感じるためには、自分自身の視点を広げ、多様なものに興味を持ち、熱中することが重要であるということを心に留めておきましょう

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