
現在進行中のイスラエルとパレスチナの衝突。その背景には、単なる数十年の対立では語り尽くせない、4000年にも及ぶ複雑な歴史と宗教、そして政治の絡み合いがあります。
本ブログでは、アブラハムの時代から始まり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の成立、十字軍、シオニズム運動、中東戦争、そして現在のハマスとの対立に至るまで、パレスチナ問題の全体像をわかりやすく解説します。
「なぜ争いが終わらないのか?」という疑問に、歴史をひも解きながら答えを探っていきましょう。
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- 🏜 パレスチナに刻まれた神と民の4000年
- ✝️ 信仰と支配の交差点──パレスチナ、三大宗教の聖地へ(紀元前1世紀〜20世紀前半)
- 🌍 独立か侵略か──イスラエル建国とアラブの怒り(1948年〜現代)
- 🎭 そして私たちへ──
- 🕌 神の約束か、民族の権利か──宗教が交差する聖地エルサレム
- 🙏 この物語に私たちはどう向き合うか?
- 🕊「帰還」の歓喜と「追放」の悲劇──1948年、イスラエル建国の光と影
- 🤝 真実はひとつじゃない。だからこそ…
- 🌪「たった6日間」で変わった地図──1967年、第三次中東戦争
- 🔥 ガザ地区――封鎖と怒りの連鎖
- 🕊 過去と未来の間で
- 🕊 希望と幻のあいだ──和平への道とその挫折(1993年〜)
- 💥 内部対立──分裂するパレスチナ
- 🚧 現代の対立構造──出口のない迷路
- 🌍 世界はどう見ているのか?
- 🌿 パレスチナ問題の長い物語 — なぜ終わらないのか?
🏜 パレスチナに刻まれた神と民の4000年
はるか昔──今から約4000年前のこと。
ペルシャ湾近くの町「ウル」に、一人の男が静かに神の声を聞いていました。
その名はアブラハム。
彼は、ユダヤ人の祖と呼ばれる人物であり、後に世界の三大宗教の源流ともなる存在です。
「アブラハムよ、立ち上がり、カナンへ行け」
神の声に導かれるまま、彼は家族と仲間たちを連れ、遠く離れた“約束の地”カナン──今でいうパレスチナ地域へと旅立ちます。
この出来事こそが、後に大きなうねりとなるパレスチナの歴史の始まりでした。
🛖 神の地に住むも、再び放浪の民へ
カナンに根を下ろしたアブラハムの一族は、そこに定住を始めました。
しかし、天災は神の地さえ容赦しません。
激しい飢饉が彼らを襲い、多くのユダヤ人たちは食を求めて南の大国エジプトへと移動します。
ところが、この移動は悲劇の始まりでもありました。
エジプトの王ファラオは、異国から来た者たちを奴隷として酷使したのです。
労働、差別、屈辱──ユダヤ人は約400年ものあいだ、苦しみの中で生きることになります。
そんな暗闇に一筋の光が差します。
現れたのは、預言者モーセ。
彼は神の言葉を受け取り、ついにユダヤ人たちを**“出エジプト”**へと導くのです。
「海を割り、人々を通らせた」という壮大な奇跡とともに、彼らは再び“約束の地”へと向かいました。
そして、自由と信仰を取り戻す旅が始まります。
🏰 栄光と分裂──イスラエル王国の興亡
数世代を経て、紀元前1000年ごろ。
ユダヤ人はついに念願の国家を築き上げます。
その名はイスラエル王国。
ダビデ王、そしてその息子ソロモン王の時代に栄華を極め、神殿が建てられ、民は繁栄しました。
しかし、その栄光は永遠ではありませんでした。
王国は南北に分裂し、やがて強国アッシリアや新バビロニア帝国の侵攻を受け、国は滅びます。
ユダヤ人たちは再び捕らえられ、バビロン捕囚として異国の地に連れ去られていきました。
民は問い続けました──
「なぜ、神は沈黙しているのか?」
苦しみのなかで、彼らの信仰はますます厳格になっていきます。
🏛 支配され続けた聖地
やがて新バビロニアが滅ぶと、ユダヤ人たちはカナンの地に帰還を果たします。
しかし、そこに彼らの自由な国は再び築かれることはありませんでした。
代わってやってきたのは、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、そしてローマ帝国──
外からやってくる大国が次々とこの地を支配し、ユダヤ人は祖国でありながら他国の支配下で生きるという矛盾を抱えながら生きることになります。
こうして、神に選ばれた民とされたユダヤ人の歴史は、
「信仰」「放浪」「征服」「解放」──
この4つの言葉を繰り返しながら、激動の数千年を歩んでいくことになるのです。
パレスチナは、この時代を経てやがて、十字軍、オスマン帝国、イギリスの統治、そしてイスラエル建国へとつながっていきます。
4000年の歴史は、今日の争いの根本を知る鍵でもあるのです。
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✝️ 信仰と支配の交差点──パレスチナ、三大宗教の聖地へ(紀元前1世紀〜20世紀前半)
👣 一人の男の誕生が、歴史の流れを変える
紀元前1世紀。
ユダヤ人たちは、かつての栄光の王国を失い、ローマ帝国の支配下で耐え忍ぶ日々を送っていました。
そのような混迷の中、ベツレヘムの地に一人の赤子が誕生します。
その名は──イエス・キリスト。
彼は、「神の国は近づいた」と説き、貧しき者、虐げられた者に寄り添いながら、ユダヤ教の伝統とは異なる新たな救済の道を示しました。
しかし、その教えは時の支配者ローマにとって危険なものであり、ついには十字架刑によって命を奪われます。
けれども、彼の死は終わりではなく、始まりでした。
その教えはやがてキリスト教として広がり、世界中に信者を生み出します。
🕌 領土と信仰を巡る新たな波──イスラム帝国の登場
7世紀になると、もう一つの大きな信仰の波がパレスチナに押し寄せてきます。
預言者ムハンマドによって生まれたイスラム教が、アラビア半島から広がり、ユダヤ教・キリスト教と同じ「唯一神」を信じながらも、独自の教義と文化をもって急速に勢力を伸ばしていきます。
そして、パレスチナはウマイヤ朝・アッバース朝・ファーティマ朝などのイスラム王朝に次々と支配されていきました。
この時代、エルサレムは**「聖地」として三宗教が共存する都市**となっていきます。
しかし、共存はつかの間の夢でした。
⚔️ 十字軍と血に染まる聖地
11世紀末、キリスト教のヨーロッパ諸国は、「聖地奪還」の名のもとに十字軍遠征を開始します。
1099年、十字軍はエルサレムを占領し、イスラム教徒やユダヤ人を大量虐殺。
以後、200年にわたる争奪戦が展開され、聖地エルサレムはキリスト教徒とイスラム教徒の奪い合いの戦場となりました。
この時代、宗教の名のもとに多くの命が失われ、人々の心にも深い傷が刻まれたのです。
🏛 オスマン帝国の長き支配(1517〜)
やがて、十字軍の時代が終わりを告げると、16世紀にはオスマン帝国がパレスチナを支配下に置きます。
この時期、比較的安定した時代が続きましたが、パレスチナはオスマン帝国の一地方として扱われ、独立した国ではなくなっていました。
宗教的にはある程度の寛容があり、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒が共存する姿も見られました。
しかし、民族意識や独立への気運が高まることはほとんどなく、地域としてのパレスチナは次第に歴史の影に埋もれていきます。
🌍 世界が揺れる中で──シオニズムと英国の介入
19世紀末。
ヨーロッパではユダヤ人への迫害が強まり、彼らは次第に「自分たちの国家を持ちたい」という思いを強くします。
こうして生まれたのが、ユダヤ人の民族運動──シオニズムです。
その目的はただ一つ、祖先の地「パレスチナ」にユダヤ人国家を建設すること。
一方、世界は激動の時代へ。
第一次世界大戦(1914〜1918)の混乱の中、オスマン帝国は敗れ、ついにパレスチナの地はイギリスの委任統治領となります。
そして、1917年。
イギリスは「ユダヤ人の国家建設を支持する」とするバルフォア宣言を発表──
これが、後の激しい民族対立と紛争の火種となるのです。

🌍 独立か侵略か──イスラエル建国とアラブの怒り(1948年〜現代)
🕊 希望と絶望のはじまり──ユダヤ国家、誕生す
第二次世界大戦が終結した1945年。
人類はナチスによるホロコーストの惨劇を知り、世界中が衝撃に包まれました。
この悲劇を経て、ユダヤ人たちの「祖国を持ちたい」という願いは、もはや国際社会の理解と同情を伴う現実的な主張となっていきます。
そして1947年、国際連合はついに決断を下しました。
「パレスチナを、ユダヤ国家とアラブ国家に分割せよ。」
だが、これが平和への道ではありませんでした──。
1948年5月14日。
ユダヤ人指導者ダヴィド・ベン=グリオンは、イスラエルの独立を宣言。
だがその翌日、周囲のアラブ諸国──エジプト・ヨルダン・シリア・レバノン・イラクが連合軍となって一斉にイスラエルへ侵攻。
第一回中東戦争の勃発です。
戦いはイスラエルの勝利に終わりましたが、その影には──
数十万人のパレスチナ人が祖国を追われ、「難民」として国境をさまよう現実がありました。
🔥 戦火の連鎖──絶えない中東戦争
この第一回中東戦争以降、イスラエルとアラブ諸国の戦争は何度も繰り返されることになります。
- 1956年:スエズ危機(第二次中東戦争)
- 1967年:第三次中東戦争(六日戦争)
→ イスラエルがガザ・ヨルダン川西岸・シナイ半島・ゴラン高原を占領
→ アラブ側は屈辱と怒りに震える - 1973年:第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)
→ イスラエルは奇襲を受けるも反撃、緊張の最高潮へ
この長く続く戦争の影響で、パレスチナの人々は国を持てないまま、難民キャンプでの生活を余儀なくされました。
子どもたちは国旗を掲げることも、パスポートを持つこともできない。
世界に取り残されたような日常──それが「パレスチナ人」の現実となっていきます。
🤝 希望の光とその陰──和平への模索
激しい戦争の果て、少しずつ和平の試みも生まれました。
1979年、エジプトとイスラエルが歴史的和平合意(キャンプ・デービッド合意)を結び、アラブ世界に一筋の光が差します。
1993年には、パレスチナの指導者アラファトとイスラエルのラビン首相がオスロ合意に署名。
互いを認め合い、将来の共存を誓う握手は、世界に深い感動を与えました。
けれど──
和平は夢に終わりました。
過激派によるテロ、入植地の拡大、イスラエル軍のガザ空爆、そして若者たちの投石。
その全てが「報復」と呼ばれ、暴力の連鎖がまた始まる。
特に、ガザ地区におけるイスラム組織ハマスの台頭と、イスラエルの封鎖・空爆は、現代の紛争の焦点となっています。
🏚 現在のパレスチナ──「国なき民」として
現在、パレスチナ人たちは「ヨルダン川西岸」と「ガザ地区」の二つの地域に分かれて暮らしています。
しかし、どちらも「独立国家」とは言えず、ガザは封鎖され、停電・水不足・医療崩壊という極限の環境にあります。

🎭 そして私たちへ──
パレスチナの歴史は、民族の誇り、宗教の信念、土地への想いが交錯する複雑な物語です。
けれど、どの時代も共通しているのは一つ──
苦しむのは、常に普通の人々だということ。
国際政治、宗教、権力、領土。
それらに巻き込まれ、愛する家族や日常を奪われる人々の存在を、どうか忘れないでください。
この長く、切なく、そして消えてはならない物語を、私たちは今も見つめ続ける責任があるのです。

🕌 神の約束か、民族の権利か──宗教が交差する聖地エルサレム
🔯 神に選ばれた民という意識──ユダヤ人の視点から
はるか昔、旧約聖書の物語の中で、神ヤハウェはユダヤ人の祖アブラハムにこう告げたと言われます。
「あなたの子孫に、カナンの地(現在のパレスチナ地域)を与える。」
この言葉は、ユダヤ人にとって聖なる約束──「神が我らに与えた地」なのです。
だからこそ、2000年の離散ののち、彼らはその地に戻りたいと願い続け、イスラエル建国を「帰還」と捉えます。
この「神との契約」意識は、今でも強くユダヤ人の国家観やアイデンティティに影響を与えています。
🕋 もうひとつの真実──パレスチナ人の視点から
けれど──
忘れてはならないのが、その「約束の地」には、何世紀にもわたって暮らしてきたアラブ人たちがいたという事実。
彼らもまた、この地を「祖先から受け継いだ大切な故郷」だと考えてきました。
8世紀以降、パレスチナはイスラム世界の一部となり、エルサレムはメッカ・メディナと並ぶ三大聖地の一つとされてきました。
彼らにとって、イスラエル建国は**神の奇跡ではなく、「侵略」**であり、
「神の約束」よりも「人の権利」が奪われたと感じているのです。
🕊 交わらない信仰、ぶつかり合う正義
- ユダヤ人にとってのエルサレム:神殿のあった聖地。ユダヤ教の魂の中心。
- イスラム教徒にとってのエルサレム:預言者ムハンマドが昇天した「アル=アクサ・モスク」の地。イスラムの聖地。
- キリスト教徒にとってのエルサレム:イエス・キリストが磔にされ復活した場所。聖地中の聖地。
こうして、三大宗教が同じ場所を「聖地」と信じ、譲れぬ想いを持っているのです。
信仰は人を癒し、力を与えるものです。
けれど、異なる信仰が交差するこの地では、信仰そのものが火種となるという、皮肉で悲しい現実が続いています。
🙏 この物語に私たちはどう向き合うか?
宗教が関係する紛争は、単なる領土問題とは異なります。
そこには「神聖さ」があり、「絶対的な正義」があると信じてしまうからこそ、話し合いが難しくなっていきます。
でも、本当に大切なのは──
神の名を語って人を憎むことではなく、神の名のもとに人を赦すことではないでしょうか。
エルサレムという都市は、ただの古都ではありません。
それは、人類の祈りと苦しみが交差する鏡のような場所です。
この地に平和が訪れるとき、きっとそれは、
世界の平和に一歩近づく日になるでしょう。

🕊「帰還」の歓喜と「追放」の悲劇──1948年、イスラエル建国の光と影
🇮🇱 ついに叶った“約束の地”への帰還
1948年5月14日。
ユダヤ人にとってそれは奇跡のような日でした。
ナチスのホロコーストを生き延びた人々、
差別や迫害に耐えてきた人々が、
長年夢見てきた「イスラエル」という名の国家の誕生を祝いました。
2,000年もの離散を経て、ついに自分たちの祖国ができたのです。
ユダヤ人の指導者ベン=グリオンは、
「これは歴史の回復である」と高らかに宣言しました。
彼らにとってこの瞬間は、
アブラハムへの神の約束が成就した、聖なる帰還だったのです。
🏚 その裏で進む、もうひとつの現実
しかしその“帰還”の裏側で──
70万人以上のパレスチナ人が家を追われていました。
ナクバ(=大災厄)と呼ばれるこの出来事。
銃声と爆撃の中、村々は破壊され、
人々は何も持たずに家を離れ、難民として中東各地へと逃れました。
「私の家は? 畑は? 家族の墓は?」
そう問いかける彼らに、帰る場所はもうありませんでした。
土地に住んでいたアラブ人にとって、
イスラエルの建国は「祝福」ではなく、故郷を奪われた記憶そのものでした。
🔥 憎しみの連鎖が始まった
そして、その年の冬。
イスラエル建国に反発したアラブ諸国が一斉に攻撃を仕掛け、
第一次中東戦争が勃発します。
勝利したイスラエルは、領土を拡大。
多くの難民は、そのまま帰還できず、今なお避難民キャンプで暮らすことに──。
ユダヤ人にとっての建国の歓喜は、
パレスチナ人にとっての喪失と屈辱の始まりでもあったのです。

🤝 真実はひとつじゃない。だからこそ…
この1948年という年を、私たちはどう捉えればいいのでしょうか?
- ユダヤ人にとっては「悲願の国家建設」。
- パレスチナ人にとっては「故郷喪失の始まり」。
どちらもが、自分の“真実”を生きています。
どちらも、自分の側に「正義」があると信じています。
だからこそ、この問題は単純な「善悪」では語れないのです。

🌪「たった6日間」で変わった地図──1967年、第三次中東戦争
🗺 地図が書き換えられた瞬間
1967年6月。
中東は、かつてないほど緊張の渦に包まれていました。
アラブ諸国(エジプト、シリア、ヨルダンなど)は、
「イスラエルを地図から消し去る」と公言。
イスラエル側も、迫り来る脅威に身構えていました。
そして6月5日──イスラエルが先制攻撃を仕掛け、
わずか6日間でアラブ連合軍を撃破。
この「第三次中東戦争」によって、
イスラエルは東エルサレム、ガザ地区、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を一挙に占領しました。
中東地図は、たった数日で塗り替えられたのです。
🏞「聖地」が分断される
この戦争により、特に大きな意味を持ったのがエルサレムの変化でした。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、
三大宗教の聖地が重なるエルサレム。
東側(旧市街)はもともとヨルダンが管理していましたが、
戦後、イスラエルがすべてを掌握し「エルサレムは永遠の首都」と宣言。
一方、パレスチナ人は「東エルサレムこそ、未来のパレスチナ国家の首都」と主張。
聖なる都は、争いの都になってしまったのです。
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🔥 ガザ地区――封鎖と怒りの連鎖
🧱 植民と封鎖のはじまり
第三次中東戦争以降、イスラエルは占領地にユダヤ人の入植地を建設し始めました。
それは、まるで少しずつパレスチナ人の土地を「既成事実」で埋めていくようでした。
特にガザ地区では、イスラエルとパレスチナの間で武力衝突が頻発。
イスラエルはガザを「テロの温床」と見なし、境界線を封鎖。
食料や燃料の搬入まで制限され、
**200万人が閉じ込められた「天井のない監獄」**と呼ばれる状況が続いています。
🚀 ハマスの台頭と報復の連鎖
2006年、ガザ地区で選挙によりハマス(イスラム武装組織)が政権を掌握。
イスラエルと西側諸国はこれを「テロリスト政権」と認定し、さらに制裁を強化。
ハマスは、ロケット弾をイスラエルに向けて発射。
イスラエルは、空爆や地上戦でこれに報復。
子どもや市民が巻き込まれるニュースは、
今や「日常の悲劇」になってしまいました。
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🕊 過去と未来の間で
1967年の戦争以降、
「占領」と「抵抗」、
「安全保障」と「人権」のはざまで、
パレスチナ問題はより複雑さを増していきました。
そしてこの状況は、現在の2020年代にも色濃く影響を与え続けています。
🕊 希望と幻のあいだ──和平への道とその挫折(1993年〜)
📜「握手」はしたけれど…
1993年。世界はテレビ画面の中の歴史的な握手に沸き立ちました。
アメリカ・ホワイトハウスの庭で、イスラエルのラビン首相と、
パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長がぎこちなく手を取り合った瞬間です。
この「オスロ合意」により、パレスチナ側に「暫定自治政府」が発足。
西岸やガザの一部地域が、パレスチナ人の自治下に置かれるようになりました。
「もしかしたら、平和は本当に来るのかもしれない」
そんな期待が中東にも世界にも広がりました。
しかし…。
🔫「希望の象徴」が撃たれた日
1995年、和平を進めていたラビン首相がイスラエル国内の極右によって暗殺されます。
「神に与えられた土地をパレスチナ人に渡すとは何事か」
という過激な宗教的信念が引き金でした。
それは同時に、和平の夢に陰りが差し始めた瞬間でもありました。

💥 内部対立──分裂するパレスチナ
⚔ ガザ vs. 西岸
和平が停滞する中、パレスチナ側でも深刻な亀裂が入り始めます。
2006年、選挙によってガザ地区ではハマスが政権を奪取。
しかし西岸地区では依然としてPLO系のファタハが政権を握っており、
この二大勢力が内戦状態に突入します。
結果、
- ガザ地区 → ハマスが実効支配(武装・強硬派)
- 西岸地区 → パレスチナ自治政府(穏健派)
という「二重政権状態」が現在も続いています。
つまり、パレスチナ人自身も一枚岩ではないという複雑な事情があるのです。

🚧 現代の対立構造──出口のない迷路
🏘 入植地と壁
現代イスラエル政府は、国際的な非難にも関わらず、
西岸地区でのユダヤ人入植地の拡大を進めています。
パレスチナ人の村や畑を取り囲むように高いコンクリートの「分離壁」が築かれ、
人々の移動の自由や生活の基盤が奪われている現状も。
💣 報復の連鎖は止まらない
一方で、ハマスやその他の武装組織は、
ロケット弾や地下トンネルによる攻撃を繰り返し、
イスラエルは空爆や封鎖でこれに応じる──
民間人が巻き込まれる報復の連鎖は、今も続いています。

🌍 世界はどう見ているのか?
- アメリカは長らくイスラエルを支持し続けてきましたが、近年では意見が分かれつつあります。
- 国連やEU諸国の多くは、**「占領地からの撤退」や「パレスチナ国家権利」**を支持しています。
- 日本も人道支援などを通して関与していますが、明確な仲介役にはなっていません。
🌿 パレスチナ問題の長い物語 — なぜ終わらないのか?
古代から現代まで、パレスチナの地は多くの民族や宗教の「聖地」として、
また「故郷」として、数千年にわたり激しい歴史を刻んできました。
🕰 何千年も続く“根深い対立”
ユダヤ人の祖先アブラハムから始まり、
エジプトでの奴隷生活、バビロン捕囚、ローマ帝国の支配、
イスラム勢力の支配、十字軍の遠征、オスマン帝国の支配、
そして20世紀の植民地支配と民族移動──
この土地には、何千年も前から絡み合った宗教・民族・政治の問題が積み重なっています。
🤝 平和を求めても進まない理由
1993年のオスロ合意に見られるように、
和平の道は幾度も模索されてきましたが、
深い不信と過激派の存在、土地の分割問題、難しい歴史認識が壁となりました。
さらに、イスラエルの入植地拡大や、パレスチナ内部の政治的分裂も、
平和の実現を遠ざけています。
🌍 私たちにできること
パレスチナ問題は「遠い国の争い」ではなく、
世界のエネルギー、宗教、移民、国際政治にも大きな影響を及ぼす「国際問題」です。
だからこそ、歴史と現実を学び、
「なぜこの争いが起きているのか」、
「関係者の思いや立場はどうなのか」を理解することが重要です。
この物語は、まだ「完結」していません。
未来の世代が平和をつなぐために、私たちも学び続ける必要があるのです。
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