
「永世中立国」でおなじみのスイス。でも実は、今の平和なイメージとは裏腹に、昔からずっと平穏だったわけじゃないんです。
アルプスの山々に囲まれたこの国は、ローマ帝国の支配やゲルマン民族の侵入、中世の権力争いに宗教対立、さらにはナポレオンの登場まで…ほんとにいろんな歴史をくぐり抜けてきました。
今回はそんなスイスがどうやって「中立」というユニークな立ち位置を確立してきたのか、古代から現代までをざっくりまとめてみました。
戦いもあれば、協力や妥協もあり…スイスって本当に奥が深い国です。
「へぇ~そうだったんだ!」と思えるような内容になってるので、歴史にちょっとでも興味がある人はぜひ読んでみてね!

🏛 1. 古代〜ローマ支配
● ケルト人の定住(紀元前8世紀頃〜)
- 紀元前8世紀頃、ケルト人という民族が西ヨーロッパ全体に広がっていました。
- 現在のスイスにあたる地域には、ケルト系の一派であるヘルベティア族が定住。
- 彼らは金属加工や陶器の技術に優れた先進的な文化を持ち、農耕や交易を行っていたとされています。
- 「ヘルベティア」という名前は、後のスイスをラテン語で「Helvetia」と呼ぶ由来になります。今でもスイスの硬貨や切手にその名が使われています。
● ローマ帝国の支配(紀元前1世紀〜)
- 紀元前1世紀、ローマ帝国が勢力を拡大。ガリア戦争(カエサル指揮)で、スイス周辺のケルト人たちもローマ軍に征服されました。
- ヘルベティア族は最初ローマに抵抗しましたが、最終的にはローマの属州(ローマ帝国の地方支配地域)とされます。
- ローマ帝国の統治下では、道路網、水道、都市建設(例:アヴァンティクム=現在のアヴァンシュ)などのインフラ整備が進み、スイス地域は商業と文化の中心地として発展。
- キリスト教もこの時代にローマ帝国を通して広まり、3世紀頃からスイスでも定着し始めます。
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⚔️ 2. ゲルマン大移動と中世
● ゲルマン民族の侵入(5世紀)
- 4世紀末〜5世紀、ローマ帝国は衰退期に入り、「ゲルマン民族の大移動」が始まります。
- ゲルマン人の中でも、ブルグント族やアレマン族がスイスに侵入し、西ローマ帝国を圧迫。
- これにより、スイス地域からローマ軍が撤退し、約500年続いたローマの支配が終わります。
● フランク王国による支配(6世紀〜)
- ゲルマン系のフランク族が現在のフランス・ドイツ・スイスにまたがる地域を支配。
- 534年、ブルグント王国がフランク王国に併合され、スイスもその一部となります。
- 8世紀〜9世紀にはカール大帝(シャルルマーニュ)によってカロリング朝の支配が確立され、キリスト教の支配体制が強まります。
● 神聖ローマ帝国へ(10世紀以降)
- カロリング朝崩壊後、東フランク王国(のちのドイツ)が分裂して、962年にオットー1世が神聖ローマ帝国を樹立。
- スイス地域はこの神聖ローマ帝国に組み込まれ、ドイツ皇帝や貴族による支配が続くようになります。
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🏰 3. ハプスブルク家と原初三邦同盟(13世紀〜)
● ハプスブルク家の台頭
- 神聖ローマ帝国の有力諸侯であるハプスブルク家が、スイスの多くの地域を支配するようになります。
- ハプスブルク家は、都市に対する課税や兵役などの義務を課し、スイスの農民や地方領主たちの不満が高まっていました。
● 原初三邦同盟(1291年)
- こうした背景から、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンという3つの州(「邦」)が、1291年に軍事・政治的な相互防衛のための同盟を結成。
- この同盟は「原初三邦同盟(ヴァルドシュテッテ連盟)」と呼ばれ、スイス独立の象徴とされる出来事です。
- この1291年が、スイス建国の起源として広く認識されており、現代でも**スイス建国記念日(8月1日)**として祝われています。
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🛡️ 3. 自治の拡大と戦い
● ハプスブルク家との対立の深まり
- スイスの原初三邦(ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデン)は1291年の同盟後も、神聖ローマ帝国の有力貴族であるハプスブルク家の支配を警戒していました。
- ハプスブルク家はこれらの地域を再び自分たちの支配下に取り戻そうと、軍事的圧力をかけてきます。
● モルガルテンの戦い(1315年)
- ハプスブルク家のレオポルト1世がスイスに侵攻。
- しかし、三邦の軍は地形を利用したゲリラ戦術で迎え撃ち、大勝利をおさめます。
- この勝利はスイスの農民兵の団結力と地形戦術の有効性を示し、周辺諸邦にも自立の動きを促しました。
● ゼンパッハの戦い(1386年)
- その後もハプスブルク家との衝突は続きます。
- この戦いでもスイス側が勝利し、支配に対する軍事的勝利を重ねることで、実質的な自治権を拡大していきます。
● スイス連邦の拡大:13邦体制へ
- 勝利を重ねるごとに、スイス連邦に加わる都市や州が増加。
- チューリヒ(1351年)、ベルン(1353年)などが加わり、15世紀半ばには13の邦(州)が結束する体制が確立。
- この時代を「13邦時代」と呼び、スイスが地域連合としての一体性を強めていく転機となります。
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✝️ 4. 宗教改革と内戦
● 宗教改革の波:ツヴィングリの登場
- 16世紀、ドイツのマルティン・ルターによって始まった宗教改革の波は、スイスにも到達します。
- スイスではフルドリッヒ・ツヴィングリ(1484–1531)が中心となり、チューリヒでプロテスタント改革を進めました。
- 聖書中心主義、偶像崇拝の否定、断食の廃止など、カトリック教会の慣習を徹底的に改革。
- チューリヒ市議会は1523年、ツヴィングリを支持し、チューリヒは正式にプロテスタント都市へと転向。
● スイス全体に広がる分裂
- 他の邦(州)にもツヴィングリやカルヴァンの思想が広がり、多くの州がプロテスタントに改宗。
- 一方で、一部の邦(例:ルツェルン、ツークなど)はカトリックのまま残存し、スイス国内に宗教的対立が生まれる。
● 宗教内戦:カペル戦争(2回)
- 第一次カペル戦争(1529年)
- プロテスタントのチューリヒがカトリック諸州に対して軍事行動を起こす。
- 交戦は回避され、和平条約が締結される。内容は「宗教の自由を尊重し、互いに干渉しない」というものでした。
- 第二次カペル戦争(1531年)
- カトリック側が反撃を開始し、再び戦争勃発。
- チューリヒ軍が敗北し、ツヴィングリは戦死。
- 戦後に再び和平が結ばれたが、今回はカトリック側に有利な内容となりました。
● 宗派共存の始まり
- この一連の宗教戦争を経て、スイスは事実上「宗教的多様性を内包した連邦国家」の形を取るようになります。
- 宗教の自由を保障しつつも、**州ごとに宗派が異なる状態(混在状態)**が定着。
- 後の30年戦争(17世紀)でもスイスはこの中立性を保ち、「宗教の共存」と「中立外交」の基盤がここに築かれました。
これらの時代は、スイスが戦いと信仰の分断を乗り越えて「自立」と「中立」の精神を確立した重要な時期です。
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🕊️ 5. 30年戦争と永世中立
● 30年戦争とは(1618〜1648年)
- ドイツを中心に起きたカトリックとプロテスタントの対立を背景とした大規模な戦争。
- 宗教戦争の形を取りながらも、各国の領土・政治的野心が絡み合ったヨーロッパ全土を巻き込む戦乱でした。
- 主要な参戦国:
- カトリック側:神聖ローマ帝国、オーストリア、スペイン
- プロテスタント側:フランス、スウェーデン、デンマーク、オランダなど
● スイスの立場
- スイスは内部にプロテスタントとカトリックが混在していたにもかかわらず、中立の立場を維持しました。
- 各州は他国に傭兵を送るなどしていましたが、全体としては戦争に直接関与しないことを選びます。
● 防衛体制の強化と連携
- 戦火がスイスに及ぶ可能性もあったため、13邦は軍事防衛協定を結んで結束を強化。
- グラウビュンデンなど一部地域は実際に戦火に巻き込まれましたが、連邦全体としては被害を最小限に抑えました。
● ウェストファリア条約(1648年)
- 30年戦争の終結を決定したこの条約により、スイスは神聖ローマ帝国からの分離が正式に認められます。
- 実質的に「独立国家としての国際的地位」を確立。
- これを契機に、スイスは中立国としての道を本格的に歩み始めることになります。
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⚔️ 6. フランス革命とナポレオン時代
● フランス革命の波(1789年〜)
- フランスで市民革命が起き、ルイ16世の処刑と王政の打倒が実現。
- この民主主義の波はスイスにも波及し、改革を求める動きが国内に起こります。
● ヘルベティア共和国の誕生(1798年)
- 革命の影響を受けたスイス人と、革命フランスの軍事介入によって、旧来の13邦制度は崩壊。
- **中央集権的な「ヘルベティア共和国」**が設立されます(フランスの衛星国家)。
- しかしこれは伝統的なスイスの連邦制と矛盾し、保守派の反発や内戦、クーデターが相次ぎました。
● ナポレオンの登場と再編(1803年)
- 不安定な情勢を見かねたナポレオンが介入。
- 「調停法(メディエーション憲法)」を制定し、スイスを19の州(邦)に再編成。
- 中央集権を緩和し、スイスの伝統的な地方自治をある程度復活させ、安定化を図ります。
● ナポレオンの敗北とウィーン会議(1815年)
- ナポレオンのロシア遠征失敗からヨーロッパ戦争は終息へ。
- 勝利した列強国(イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセンなど)が集まり、ウィーン会議が開催。
● 永世中立国としての承認(1815年)
- スイスは大国間の緩衝地帯としての価値を評価され、どの国にも属さず、中立を維持することを国際的に約束。
- このときから**「永世中立国(Permanent Neutrality)」としてのスイス**の地位が正式に認められ、現代に至るまで続く中立政策が国際的に保証されました。
この2つの時代は、スイスが「国際戦争を中立で生き抜く方法」を確立し、国際的に独立と中立の地位を得た決定的な時期です。
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🧩 7. 赤十字の誕生と近代連邦憲法(19世紀)
● 赤十字の創設(1863〜1864年)
- 1859年、スイス人のアンリ・デュナンがイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで負傷兵が放置されている悲惨な状況を目撃。
- その体験を記した著作『ソルフェリーノの思い出』が大きな反響を呼び、戦争時の人道的救済の必要性が国際的議論に。
- 1864年、スイス・ジュネーブを本拠地に**「国際赤十字社(ICRC)」が創設**。
- 同年、「ジュネーブ条約」が締結され、戦争時の負傷兵や医療者の保護が国際法で定められた。
● 1848年:スイス連邦憲法の制定
- フランスの1848年2月革命の影響でスイスでも自由主義改革が進み、カントン(州)ごとの内戦=分離同盟戦争が勃発。
- 改革派(自由主義側)が勝利し、1848年にスイス連邦憲法が制定。
- ベルンを首都に決定。
- 公用語をドイツ語・フランス語・イタリア語と定めた。
- 傭兵制度を廃止し、「永世中立国にふさわしい内政体制」を整備。
- **国民皆兵制度(男性に兵役義務)**を導入し、独自防衛力を強化。
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🌍 8. 世界大戦と中立維持(20世紀)
● 第一次世界大戦(1914〜1918年)
- 欧州が連合国(英仏露など)vs.同盟国(独墺)に分かれ全面戦争。
- スイスは厳格な中立を維持し、約20万人の兵士を動員して国境を警備。
- 同時期、亡命中のロシア革命家レーニンがスイスに滞在し、のちにロシア革命を成功させた。
- 終戦後、1919年にジュネーブが「国際連盟」の本部となり、国際的中立国の象徴的地位を得る。
● ゼネスト(1918年)
- 戦争による経済的苦境から労働者の不満が爆発し、スイス全土で**ゼネスト(大規模ストライキ)**が発生。
- 女性参政権、労働時間短縮などを求める声が高まり、1920年代以降に政治改革が進行。
● 第二次世界大戦(1939〜1945年)
- ナチス・ドイツが欧州を席巻する中でも、スイスは中立を維持。
- 43万人の兵士を動員し防衛体制を強化。
- アンリ・ギザ将軍のもとで「いかなる場合も最後まで抗戦する方針」を宣言。
- スイスはドイツに占領されることはなかったが、中立貿易やナチスとの金融関係に一定の批判も残る。
この時期、スイスは中立を守ると同時に「人道支援国家」としての役割を拡大し、世界の信頼を得ていきます。
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🕊️ 9. 冷戦と国際協調:中立政策の模索(1945年〜1991年)
● 国際連合の創設(1945年)
- 第二次世界大戦後、国際社会は新たな平和機構「国際連合(国連)」を設立。
- スイスは「永世中立国」の立場から、国連への加盟は見送り。
- ただし、WHO(世界保健機関)やUNHCR(難民高等弁務官事務所)などの専門機関をジュネーブに誘致し、拠点としての役割を果たしました。
● 冷戦時代(米ソ対立:1947〜1991年)
- 世界はアメリカを中心とした自由主義陣営と、ソ連を中心とした共産主義陣営に分断。
- スイスは引き続き中立を堅持。
- 朝鮮戦争、インドシナ戦争などの紛争においても、調停役や停戦監視の立場で貢献。
- 1960年代、ヨーロッパ統合の動きが活発になる中で、スイスはEEC(後のEU)にも加盟せず、自主独立の経済外交を選びました。
10. 国際統合とスイスの変化(1990年〜)
● 冷戦終結とスイスの再選択
- 1991年、ソ連崩壊により冷戦が終了。
- 世界は「国際協調・グローバル化」へと大きく舵を切ります。
- スイスもまた、長年の中立姿勢と国際貢献のバランスをどう取るかが課題に。
● 国連との関係強化
- スイスは1990年代から、**国連平和維持活動(PKO)**への協力を強化。
- 2002年、国民投票によってついに国連への正式加盟が決定。
- 加盟後も、軍事的中立を維持しながら、国際的な人道・調停活動に積極参加。
● EUとの関係
- 1992年、スイスはEU加盟の是非を国民投票で問うも反対多数で否決。
- 以後もEUには加盟していないが、経済・人の移動・環境など部分的に多くの二国間協定を締結。
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🚨 11. 現代:中立のジレンマとウクライナ戦争(2022年〜)
● 国際的役割のジレンマ
- 近年は「中立を維持することが本当に平和に貢献するのか」という議論が活発化。
- 特に2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻では、国際社会が対ロシア制裁に踏み切る中、スイスも中立国として初めて経済制裁に参加。
- これは「スイスの中立の再定義」とも言える歴史的な動きであり、国内外で議論が分かれています。
● 今後の課題
- スイスは今、次の二択を突きつけられています:
- 伝統的な「武力にも巻き込まれない中立」を貫くのか
- 人道・正義の観点から「行動する中立」に進むのか
- いずれにせよ、世界の秩序が揺らぐ中で、スイスの中立は再び岐路に立たされていると言えます。
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最後に
スイスの歴史は、ただの中立国家の歩みではありません。
それは、外圧に屈せず自らの権利と価値を守ろうとした地方の農民たちの戦いであり、宗教的分断の中でも共存の道を模索し続けた葛藤の記録であり、世界が混迷する中で「行動する中立」を追い求める知恵の集積でもあります。
現代のグローバルな危機の中で、スイスの歩みは今なお私たちに「平和とは何か」「中立とはどうあるべきか」という問いを投げかけ続けています。
過去を知ることで、私たちもまた未来に向けた選択のヒントを得られるのではないでしょうか。
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