日本から見る地政学

歴史

歴史を振り返ると、国家の運命はしばしば地理によって決定されてきたことに気づく。例えば、世界地図上で日本の位置を考える時、私たちは日本が単なる島国ではなく、地政学的には重要な役割を担う国であることを理解するのに役立ちます。日本という国は、大国ロシアや中国にとって、太平洋進出にとても邪魔な位置にあることがよくわかります。まさにこの位置は、戦略と戦術の面から見れば、世界のパワーバランスを左右する要所と言えます。

地政学とはそうした地理的条件が国際政治に与える影響を研究する学問です。そして日本の地政学的重要性は、歴史的な国際関係、特に日英同盟のような歴史的な出来事を通しても明らかになります。日本の位置は、アジアと世界の他の地域を繋ぐ戦略的なポイントであり、その影響は経済、軍事、文化の各面に及部でしょう。

このブログでは、日本の地政学的位置の重要性と、それが歴史的に国内外の政策にどのように影響を与えてきたのかを探求していこうと思います。日英同盟を始めとする歴史的な経緯から、今日に至るまでの日本の国際関係における戦略的選択に焦点を当てて、地政学的な視点を深めていきたい。地政学は、国家が直面する複雑な問題に対する理解を深め、将来の選択肢を考えるための重要な枠組みを提供していきます。

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日英同盟

日本の地政学的位置を把握するには、歴史的な背景から見ることが重要です。

日本とイギリスの同盟の歴史から考察を始めます。この同盟は、イギリスがロシアの脅威に対抗するため、日本と結んだものです。イギリスは当時、世界覇権を誇る国で、その支配下には世界の四分の一の領域がありました。特に海運ルートの安全はイギリスにとって極めて重要で、その名の通り「海洋帝国」と呼ばれるほどでした。

イギリスは「永劫の孤独」という方針を採っていましたが、1902年には日本との同盟を結びます。

この方針は、他国と同盟を結ばずに独立を保つという意味で、約80年間続けられていました。しかし、これが変わったのはロシアの南下政策に対抗するためです。ロシアの南下政策は、シベリア鉄道の開通で陸上輸送能力が向上し、冬でも凍らない港を求めてユーラシア大陸の沿岸部に進出する戦略でした。これが進むと、イギリスの海上貿易ルートが脅かされるため、対抗措置として日本との同盟が必要になりました。

日本との同盟は、イギリスにとって、貿易ルートの安全保障を固める手段でした。

貿易ルートには、結節点となる重要な拠点が存在します。これらの拠点をロシアに制されると、イギリスの貿易は大打撃を受けるため、輸送コストの上昇を避けるためにも日本は理想的な同盟相手でした。

地政学の視点では、世界の大きな動きは、大陸国家と海洋国家の競争によって形成されます。

ユーラシア大陸の沿岸部を巡るこの争いは、歴史的にも現代においても見られる動きです。例えば、第二次世界大戦後のアメリカは、海洋国家としての役割を果たし、現在もアメリカと中国の間には、同様の海洋国家対大陸国家の構図が存在します。

日英同盟の成立背景

当時のイギリスは南アフリカでのボーア戦争など複数の戦線で忙殺されており、ヨーロッパではフランスやドイツの動きに警戒を強めていました。こうした中で、アジアへの対応力が低下していたため、イギリスはアジアでの影響力を保持する新しい方法を模索していました。

イギリスのアジアでの戦艦配備状況と日本の立場

1901年時点でのイギリスのアジアにおける主力戦艦の配備は8隻でしたが、フランスとロシアの合計は7隻、そして日本は5隻を持っていました。この状況では、イギリス単独でアジアを支配するのは難しい状況にありました。さらに、日本が東南アジアで影響力を拡大しようとする動きが懸念されていたため、イギリスはアジアにおける海の安全を確保するために日本と同盟を結ぶことを考えました。

日本の安全保障上の懸念

日本から見た場合、ロシアの脅威は非常に大きなものでした。中国での義和団事件では、異国人追放を求める民衆の動きがあり、これを制圧するために日本を含む連合国軍が介入しました。その後、ロシアが満州に居座るようになり、日本にとっては朝鮮半島を取られることが次なる懸念材料でした。島国の日本は、対岸が敵に占領されると、攻め込まれる可能性が高まり、結果として防衛費も増大するため、ロシアの進出は看過できませんでした。冬でも凍らない港を求めてロシアが朝鮮半島へ侵攻する可能性は高く、当時の国力では日本はロシアに単独で立ち向かえない状況でした。

日英同盟の締結とその結果

共通の敵であるロシアに対抗するため、日本とイギリスは同盟を結ぶことになりました。1902年に正式に日英同盟が締結され、技術や資源の提供を受けた日本の海軍力は強化されました。その後、朝鮮半島と満州の権益を巡り日露戦争が勃発しました。ロシアのバルチック艦隊は、イギリスがスエズ運河の使用を許可しなかったために遠回りをして日本近海に到着したときにはすでに疲弊しており、結果として日本は勝利を収めました。この勝利により、イギリスとしてもロシアの南下政策を阻止できたため、目的を達成したと言えます。

アメリカにおける日英同盟の認識の詳細

では、日英同盟が結成された当時、遠く離れた太平洋の向こう側にあるアメリカ合衆国はこれをどう捉えていたのでしょうか。アメリカでは、20世紀初頭において「孤立主義」という政策が支配的でした。これはアメリカがヨーロッパの事情に干渉せず、ヨーロッパ諸国にもアメリカの政治に介入されたくない、という立場を取る政策でした。アメリカは自らの国力を背景に、特にイギリスやフランスなどの旧世界の大国からの口出しを忌避していました。

しかし、産業革命と大規模農業の成長により、アメリカの生産力は飛躍的に増大し、過剰生産が問題となり始めました。農産物は特にその保管にコストがかかるため、売り先の確保が急務となっていました。そこで、外国市場へのアクセスを容易にするため、海外に進出する基地と強力な海軍の必要性を唱える声が高まります。

このような中、海外に関心を持ち始めたアメリカでは、海軍軍人アルフレッド・セイヤー・マハンが重要な役割を果たしました。マハンはアメリカの安全保障にとって日本の動向を警戒すべきだと考え、アメリカの太平洋での影響力を強化するため、ハワイの併合を強く主張しました。彼の主張は、アメリカ西海岸を日本から守り、アジアへの貿易ルートを確保するための戦略的なものでした。

アメリカから見た日英同盟とその後の国際関係の展開

アメリカ合衆国がどのように日英同盟を見ていたかについて説明します。まず、アメリカは同盟の結成を注意深く注視していましたが、これが自国の利益にどう影響するかについては複雑な見方をしていました。状況は変わり、1914年にはヨーロッパを震源として第一次世界大戦が勃発しました。大戦は中央同盟国(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア)と連合国(イギリス、フランス、ロシア)の間で戦われ、連合国側の勝利で終わりました。

イギリスは、元々ロシアを含む拡張主義を抑え込むために、かつての敵であったフランスとロシアと手を組みました。日英同盟は、もともとのロシアの封じ込めから、アジアの海を守るパートナーとしての役割へとその意味合いを変化させていきました。しかし、この同盟はイギリスとアメリカの関係にはあまり良い影響を与えていませんでした。大戦で疲弊したイギリスにとって、アメリカとの強固な関係は非常に重要でした。日英同盟を破棄すれば、イギリスはアジアでの勢力均衡を単独で維持するために、より多くの艦隊を配置する必要が出てくるでしょうが、そうする余力はありませんでした。

このため、イギリスは日英同盟を維持しながらもアメリカとの良好な関係を維持するという微妙な立場に立たされました。そして、これらの交渉を経て、四国条約が成立しました。日英同盟にアメリカとフランスが加わり、「四国」となったのですが、残念ながらこの条約は1930年代を生き延びることができませんでした。

第二次世界大戦の時期には、日本は覇権国であるアメリカの傘下に入り、ソビエト連邦や中国などの大陸国家の海洋進出に対する防波堤の役割を果たしました。日本がアメリカと異なっていたのは、その位置です。第一次世界大戦の時とは異なり、日本は太平洋を挟んでアメリカの直接の隣というわけではありませんが、太平洋は両国間で「高速道路」のように利用されていました。しかしながら、潜水艦による脅威も依然として存在していました。とはいえ、アメリカにとっては、遠く離れた東アジアをカバーするためには、日本が戦略的に重要な位置にあると見なされていました。

日英同盟時代と現代のエネルギー資源の違いと日本の地政学的位置

日英同盟の時代に最も主要なエネルギー源は石炭でした。しかし、現在は石油がその役割を担い、この石油の約90%は中東地域からの輸入に依存しています。この重要な輸送路の安全保障をアメリカが提供しているのです。日本はこの保護関係の中で、アメリカにとっても戦略的な価値を持ついくつかの施設を提供しています。その代表例が、横須賀にある海軍施設と沖縄にある米軍基地です。

横須賀の海軍施設は、その設備の大きさから空母を含む大型船舶の修理が可能であり、船舶をハワイやアメリカ本国まで送り返す必要をなくしています。これにより、運用の効率性と応答速度が大幅に向上しています。一方、沖縄にある米軍基地は、その充実した設備に加えて、大陸から発射される弾道ミサイルの射程内にある世界の主要都市を守るための重要な役割を果たしています。

このように、アメリカは日本に位置する基地を通じて世界の様々な地域に影響力を行使できる絶好の位置にあります。これは、中国のような国々が海洋における影響力を広げようとする動きと、それを抑制しようとするアメリカとの間の緊張の最前線にある日本の役割を指します。

日本の地理的位置は、ヨーロッパやアメリカと統一して大陸国家を抑える上で、また海洋国家間の連携を強化する上で、戦略的に重要な位置にあります。遠交近攻の戦略を取る上で、日本は国際政治の舞台において「良いパートナー」を見つけ、その関係を慎重に考える必要があります。この地政学的な視点は、今後の国際関係を考える上で重要な要素です。

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