【名著】レオナルド・ダ・ヴィンチの手記|やる気が出ない時は、やらなくていい。 ~万能の天才が語る、才能と努力の話

哲学

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ダヴィンチノート」:天才の心の内に迫る

1994年、ビルゲイツが30億円で落札した世界最も高価な書籍。それはレオナルド・ダ・ヴィンチが生涯を通じて書き続けた約5000ページの手記「ダヴィンチノート」です。芸術や科学に興味がある方、知的好奇心を持つ方、効果的な学び方や成果を上げる心構えを探る方には、この本は欠かせない宝物。鏡文字で暗号のように書かれたページの中には、天才の創造の源泉と、彼が時代の中でどう生き抜いたかの秘密が隠されています。

今回のブログでは、この不思議で魅力的な「ダヴィンチノート」の世界を探る旅に出かけます。レオナルド・ダ・ヴィンチの独特の思考や感性、そして彼の人生哲学についても触れていきたいと思います。さあ、一緒にこの冒険を楽しんでいきましょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチの背景

1452年、レオナルドはイタリアのヴィンチ村で生まれました。彼の出自の事情から正式な学校教育は受けられませんでしたが、自らの興味と努力でラテン語や幾何学、そして絵画を学びました。緑豊かな環境での子供時代は、彼の高い観察力を養う基盤となりました。

彼の才能を見出した父は、当時のフィレンツェで高名な芸術家ヴェロッキオの下での修行を手配しました。この時代、フィレンツェはルネサンス芸術の中心地であり、多くの商人やメディチ家などの富裕な家族が芸術家を後援していました。

ヴェロッキオの工房では、絵画や彫刻だけでなく、多様な技術や知識の習得が求められ、レオナルドにとっては学びの宝庫でした。彼はこの工房での修行を経て、独立した画家としての地位を築きました。

「最後の晩餐」の制作

レオナルドはミラノでの新たなパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァと出会い、修道院の食堂に壁画を描く依頼を受けました。この壁画が「最後の晩餐」として知られる名作です。

しかし、レオナルドが選択したテンペラという技法には欠点がありました。この技法は環境の変化に非常に敏感であり、時間が経つにつれて劣化が激しく進行しました。現在も多くの修復が施されていますが、彼の緻密な技法と情熱がこの作品に息づいています。

チェーザレ・ボルジアとの出会い

レオナルド・ダヴィンチは1500年に故郷フィレンツェに戻ると、絵画よりも幾何学への関心が増した。彼は自然の法則を深く理解しようと、物事を計測し、関連性やパターンを見つけようと努力した。その中で彼が描いた最も有名な作品は、「リトルウィウス的人体図」で、それは男性の体を円と正方形の中に調和よく収めたものだ。この図は、人体の理想的な比率を幾何学的に示している。

ダヴィンチは、自身の才能を最大限に活かせるパトロンを探していた。そして、イタリア統一を目指すカリスマ的な若き指導者、チェーザレ・ボルジアと出会う。彼は冷静で理性的な性格を持っており、マキャヴェリによって理想的な君主として称賛されていた。チェーザレはダヴィンチを建築技術総監督として雇い、イーモラ市の地図作成を命じた。この時代、航空写真がなく、地図は非常に重要だった。ダヴィンチはイーモラの地図を驚くべき正確さで完成させた。

彼がチェーザレに仕えた後、フィレンツェに帰った時、29歳の天才彫刻家ミケランジェロが現れる。二人の芸術の巨匠が同じ場所にいると知ったフィレンツェの当局は、二人に対決形式の壁画制作を依頼した。しかし、ダヴィンチは技術的な問題で、そしてミケランジェロはローマ教皇の呼び出しで、それぞれの作品を未完で放置した。

一方、ダヴィンチは「モナリザ」という肖像画も制作していた。そのモデルの正確な身元は不明だが、フィレンツェの商人の妻、リザ・デル・ジョコンドとされている。彼の画法「スフマート」は、輪郭線を使わずに自然を忠実に表現するもので、それにより「モナリザ」の表情や質感が生き生きと描かれている。さらに、ダヴィンチは遠くの物体が青く見える「空気遠近法」という技術も確立した。しかしながら、「モナリザ」は彼にとって未完成のまま、生涯彼の手元に置かれていた。

晩年

晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを支えたのは、フランスの若き国王、フランソワ1世でした。彼は20代前半という若さにもかかわらず、卓越した風格と気品を持ち、多様な学問や言語に詳しかった。国王はレオナルドを、世界で最も知識豊富な人物、真の哲学者として心から尊敬していました。彼はレオナルドに快適な邸宅と十分な報酬を提供し、二人の関係はとても深いものとなった。実際、彼らの間柄は、若き日のアレキサンダー大王と彼の師、アリストテレスのような、師弟のような関係と言われています。

レオナルド自身も、自分の人生を大切に過ごすことの重要性を理解していました。彼が残した手記の中には、以下のような言葉が綴られています。「立派に過ごされた一日の後に、幸せな眠りが訪れるように、よく生きられた人生の後には、幸せな終焉が訪れる」と。

そして、その言葉通り、1519年5月2日、67歳の誕生日を迎えて間もない時、レオナルドの時が来ました。美術史家ヴァザーリによれば、レオナルドの最後の瞬間は非常に感動的だったとされます。死が迫る中、フランソワ1世は彼の側に駆けつけ、レオナルドの頭を優しく抱きしめました。国王はレオナルドの痛みを和らげ、彼の尊厳を守りたいと心から願ったのです。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチは、自らの作品に囲まれ、親しい友人の腕の中で永遠の眠りにつきました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ:「経験の重要性」

レオナルドは、経験を最も信頼すべき教師と考えていました。彼にとって、経験は嘘をつかない確固たる事実の源であった。彼の言葉によれば、経験が誤った結果をもたらすのは、我々の解釈が間違っているためである。

一部の人々はレオナルドを文字の知識が乏しいと非難するが、彼は反論します。彼の主張として、言葉よりも経験からの学びが重要であるということ。彼の自負心や反骨の精神は、「経験の弟子」という言葉からも伺える。

彼は経験を通じて得た教訓から、人々が出会うさまざまな経験や失敗をどのように受け止め、それをどのように解釈し成長の糧とするかが重要であると説いています。

しかし、レオナルドは経験だけを信じるという偏った考えを持っていたわけではありません。彼の手記からは、他者の意見を尊重し、その中から適切なフィードバックを受け取る姿勢が伝わってきます。彼は、作品の評価に関しては、友人やライバルからの意見を平等に受け止めることの重要性を強調しています。

だが、すべての意見や批判を真に受けるわけではなく、その背後に十分な根拠や理由があるかを評価し、それに基づいて自らの行動や決断を下すことが重要であると彼は考えていました。

確証バイアスとレオナルド・ダ・ヴィンチ

私たち全員が、自らや身近な人々の行動を肯定的に解釈し、他者や競合相手の行動を否定的に見る傾向があります。これを「確証バイアス」と言います。レオナルド・ダ・ヴィンチもこのバイアスを理解していたため、多くの人々からの意見やフィードバックを求めることで、自分の考えの偏りを克服しようと努力していました。しかし、批判やネガティブなフィードバックには、心理的なストレスや不安を感じることもあったでしょう。しかし彼の情熱は、そのようなネガティブな感情を超え、優れた作品を生み出すための原動力となっていました。

レオナルドは、自分の作品に対する献身的な姿勢や完璧主義から、一部の作品を未完のまま残すこともありました。アンギアーリの戦いやモナリザは、彼の追求する完璧さに至らないと感じたため、何度も修正が加えられました。彼は、真実や正確性を追求することの重要性を強調しており、偽りやごまかしを嫌悪していました。

彼の伝えた寓話は、表面的な魅力に騙されず、物事の本質を理解する重要性を示しています。蛾の物語は、私たちに表面的な魅力や一時的な快楽の追求の危険性を警告しています。

レオナルドの非凡な才能は、多くの賞賛を受ける一方で、時には嫉妬の対象ともなりました。次のセクションでは、彼が嫉妬や人間関係にどのように向き合っていたのか、またその独自の人生観や哲学について詳しく探っていきます。

幸福と嫉妬

2つ目のテーマ「幸福と嫉妬」に入って参ります。まず、考えられる最も深い幸福が、皮肉にもその逆の感情、すなわち不幸や問題を引き寄せることがあるのを知っていますか?この幸福という明るい瞬間の背後には、しばしば嫉妬という暗い影が隠れているのです。そして、その嫉妬は、幸せを掴んだ者に向かって、隠された危険な爪を持つ獣のように飛び掛かることがあります。

徳や内なる資質といった真の価値を持つことは、同時に他人の嫉妬を生む可能性がある。特に嫉妬心が強い人々は、真実の根拠がなくても、虚偽や誤解を広めて、その人の名誉や徳を危険にさらします。しかし、これらの攻撃や嫉妬は、結局のところ、恐れや不安から生まれるものであり、真の強さからではありません。他人を攻撃することで、結局、自分自身が傷つくリスクを冒す。例えば、穴を掘れば、その土が自分の頭に降りかかることがある。また、壁を壊せば、その破片が自分に飛び散るリスクがある。これは、小さな問題から大きな問題へと繋がる過程を示しています。

この文章から感じられるのは、レオナルドが自らの経験を通じて、他者からの嫉妬や羨望によって味わった感情の痛みや困難を表現していることです。そして彼は、嫉妬という感情自体は避けられない普遍的な存在であると認識していますが、その感情によって他者を傷つける行動は危険であると強調しています。

しかし、彼のメッセージは、嫉妬や羨望を恐れて人との関わりを避けるべきではないというものです。例えば、デッサン(素描)の学びにおいても、一人での学習よりも、仲間と一緒に学ぶ方がより効果的だと彼は経験から語っています。他者との競争や評価によって、自らの学びが深まるのです。他人の成功や才能を羨むことがあるかもしれませんが、その羨望自体が、自分の成長や前進の動機となることもあるのです。

他者との競争について

学ぶことの重要性と同僚との関係性:

  • 他人と一緒に働くことの最大の利点は、他人の優れた方法を学ぶことができることです。
  • もし自分が他人よりも優れている場合、その人たちの失敗は自分の学びの機会となります。
  • 成果を出すことで、仲間からの称賛を得ることは自信を育て、さらなる成長を促す。

嫉妬の役割とレオナルドの洞察:

  • 人々は、自分と同じ状況にある人が成功するのを見ると嫉妬することがあります。
  • 例として、レオナルド・ダ・ヴィンチも同時代のアーティスト、ボッティチェリに嫉妬し悩んでいたと言われています。
  • しかし、この感情は成長の機会として捉えることができます。それは私たちの成長意欲を刺激するメカニズムでもあります。

学びの深化:

  • 人は瞬時に多くの情報を捉えることができますが、それを深く理解するのは時間がかかります。
  • 細部に焦点を当て、段階的に学ぶことが重要です。すぐに結果を求めるのではなく、一歩一歩地道に努力することが大切です。

努力と継続の重要性:

  • 速さよりも持続的な努力が大切です。
  • ローマの皇帝アウグストゥスの言葉「ゆっくり急げ」は、良い結果を得るためには慎重に進めるべきだと示しています。
  • レオナルドも、すぐに多くのスキルを習得したわけではありません。彼の多くの偉業は、継続的な努力の結果です。

成熟した人生のためのアドバイス:

  • 老年期に豊かに生きるためには、若い頃からの地道な努力が必要です。
  • 使われない才能は、時と共に衰えていく。活用し、継続的に磨くことが重要です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ:情熱、孤独、そして絶えず探求する好奇心

レオナルドは常に物事の終局を考慮に入れた未来志向の考え方を持っていました。そのため、短期の利益や成果に囚われることなく、長期の視点での努力を続けることができました。しかし、彼もやる気を感じない日々があったとされています。

例えば、イザベラ・デステ公爵夫人からの肖像画の依頼を受けた際、彼は何度もの催促にも関わらず、気分が乗らないという理由から下書きのままで放置してしまったと言われています。その時期、彼は幾何学に夢中で、絵を描く気にはなれなかったのかもしれません。このエピソードから、レオナルドの情熱が外部からの期待よりも、彼自身の内発的な興味に基づいていたことが伺えます。

しかし、天才とは時として、その情熱の深さから自身を破滅に追い込むこともある。彼の言葉には、その熱意がどれほど強烈であったか、そしてその情熱が時に自身を追い詰めるものであったことが伝わってきます。天才の中には、その才能が源となる深い孤独や苦しみを持つ人も少なくありません。ノーベル賞作家ロマン・ロランは、天才というのは人を休ませずに駆り立てる存在であり、ミケランジェロはその犠牲者であると述べました。レオナルドもまた、この例外ではなかったでしょう。

彼が数多くの分野で卓越した成果を挙げ、万能の天才と称される所以は何だったのでしょうか。その答えは、彼の持っていた底知れない好奇心にあると言えます。彼は、多くの人が興味を持たないような事象にも、その好奇心をもって取り組んだのです

学びの質と心のあり方

さて、不健全な学習のアプローチについて進めてまいりましょう。

「何も知らないならば、何も愛したり憎んだりすることはできない」とは、どういう意味でしょうか。この言葉から、「好奇心は自然に湧くものではなく、自らが育てるべきもの」というメッセージを受け取ることができます。たとえば、観光客が初めて訪れた国で地元の文化や人々との交流を深めることで、その国や文化への興味が愛情へと変わるケースは多々あります。こうした経験が、小さな好奇心を大きな学びへと育て上げるのです。

この考え方を別の言葉で説明すると、「未知のものに対して先入観を持たずに、新しい経験や知識を受け入れることが大切である」と言えるでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチも、学びの質についての見解を持っていました。彼は言います。「食欲のない食事は不健康であるように、学びたいという欲望のない勉強は不健全である」と。つまり、学ぶための最も大切な要素は、本人の内発的な動機、つまり「真の興味」なのです。

レオナルドの熱心な学びの姿勢は、彼が名声を得た後も変わりませんでした。例として、彼が既に有名になった後でも、20代の若い解剖学者のもとで学び直したというエピソードが伝えられています。このように彼は、年齢や社会的地位に関係なく、新しい知識や技術を学ぼうとする姿勢を持ち続けました。

さらに、

レオナルドは自然からの学びの重要性も強調していました。彼の言葉には、自然に対する深い尊敬と敬意が込められています。「真の芸術は、自然を正確に再現するものであり、そのためには科学的な視点と哲学的な思考が必要である」と彼は語りました。

彼の作品の中には、生命の始まりと終わりに関するテーマが多く描かれています。彼は、水が全ての生命の源であり、終焉を迎える原因でもあると考えました。そして、彼の晩年に描かれた嵐や洪水のスケッチは、彼の命の終わりを予感させるものとも言われています。彼が「充実した人生を送った者には、平穏な最期が待っている」と言ったことを思い出し、彼の最後が穏やかであったことを心から願います

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